震災時の津波で大きな被害を受けた陸前高田で営業を再開したプレハブの「佐藤たね屋」。店主の佐藤さんはそこを復興の最前線と位置づけ、自力で井戸まで掘ってその水で苗木を育てている。空いた時間には震災時の記録を独習した英語で書き綴り、多言語に翻訳し、自費出版し、版を重ねるたびに加筆修正を行っている。途方もなく、終わりのない作業が執り行われる種屋内部での活動とは対象的に、外の風景は刻々と変化し続ける。更地が広がり、パワーショベルなどの重機が並んでいたと思ったら、少しシーンが進むと更地はすっかり緑色の雑草に覆われている。一瞬、道路を挟んで反対側で高校生くらいの野球チームが練習をしている様子が種屋のガラスに幻のように映る。
その後更地にはコンビニができ、それもじきになくなり、起こりうる津波被害に対処するための土地のかさ上げ作業がどんどん進む。茶色い台形の丘が種屋の目前に迫る頃、店頭には可憐な紫の花が咲き、そして、彼が種や苗木を育て記録を綴り続けた「復興の最前線」という場所が有限であることが知らされる。そこも、かさ上げの対象地なのだ。「埋もれてしまったら、誰もこの土地の下でかつて種屋があったなんて信じないだろう」と佐藤さんは笑う。
「書いて残したい。書いてもみんな流されるんだよここは」という切実な言葉が示すように、彼は残すということに意識的であり、何度も津波被害にあっている土地の過去を参照し、遠い未来を見据える視座をもっている。記した記録が世界のどこかで記憶として継承されることを佐藤さんは望んでおり、実際それは起き始めている。最後、小屋を解体し井戸のポンプを引き抜いて、「終わりだ」と言う彼の姿は、見るものの胸を打つだろう。しかし、震災というできごとと復興のはざまで、そのような人、あの場所が存在したこと、種屋の営みと執筆活動の根底にある行動原理が同一であること、種は確かに蒔かれ根付いていることを、このささやかな映画は教えてくれる。そしてきっと、冒頭若干の気恥ずかしさを感じてしまうかもしれない「心に希望の種を!」という実直な手書き看板も、最後にはごく自然な言葉として受け入れていることに気づくだろう。
(『美術手帖』2017年2月号「INFORMATION」より)