EXHIBITIONS

令和3年度国立美術館巡回展 国立西洋美術館コレクションによる

高岡で考える西洋美術

<ここ>と<遠く>が触れるとき

2021.09.14 - 10.31

ベルト・モリゾ 黒いドレスの女性(観劇の前) 1875 林忠正の旧蔵歴あり、国立西洋美術館蔵

オーギュスト・ロダン 青銅時代 1877(原型) 松方コレクション、国立西洋美術館蔵 撮影=上野則宏

パリで制作中の本保義太郎(1907年頃)の写真(複製) 高岡市美術館蔵

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ 夜明けの目覚め 1877-78 国立西洋美術館蔵

クロード・モネ 雪のアルジャントゥイユ 1875 松方コレクション、国立西洋美術館蔵

 令和3年度国立美術館巡回展として「国立西洋美術館コレクションによる 高岡で考える西洋美術――〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」が開催されている。新型コロナウイルス感染症の拡大を踏まえ延期されていたが、会期を改めての開幕となった。

 この展覧会は、先行して山形美術館で開催された「国立西洋美術館コレクションによる 山形で考える西洋美術――〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」(7月17日~8月27日)とのズレた対関係をなすもの。山形展に続いて従来の「国立美術館巡回展」の枠組みを大幅に押し広げる実験的な試みとなっている。

 国立西洋美術館からの出品作(寄託作品含む)は、デューラー、ヴェロネーゼ、エル・グレコ、レンブラント、フラゴナール、ドラクロワ、ロセッティ、モネ、ロダン、セザンヌ、ル・コルビュジエら。ルネサンスから20世紀までの作家たちの絵画や彫刻、版画や素描などの優品の顔ぶれは、山形展とほぼまったく同じにもかかわらず、それらの多く、とりわけ国立西洋美術館の近代美術コレクションが、高岡の地に特有の様々な歴史や記憶、今年で創立70周年を迎えた高岡市美術館の所蔵作品と遭遇してふれあうことで、山形展とはまったく異なる展覧会へと組み替えられ、作品たちがまるで別様の布置をかたちづくっている。本展はこうして、山形とは違う高岡の地でだからこそ見えてくる西洋美術のあり方を探る。

 そのような試みの山形展での扉となったのは彫刻家・新海竹太郎の記憶だったが、この高岡展においては、同地出身の彫刻家・本保義太郎の足跡が導入となる。本保はこれまで、東京美術学校(現・東京藝術大学)在学中に森鷗外の「西洋美術史」および「美学」講義の詳細な筆録を残したことで、その名を知られてきた。しかし本展はその講義録以外にも、富山県美術館から借用した初公開を含む本保旧蔵資料の数々、また本保の母校の後身にあたる東京藝術大学の附属図書館所蔵の書籍や高岡市美術館のコレクションである本保の作品、個人蔵の資料とを具体的に関連づけながら国立西洋美術館所蔵のロダンやカルポーの彫刻などとともに展示することで、高岡生まれの彫刻家の記憶を新たに照らし出す。

 日本人としては最初期にロダンと面会し、その対面からまもない1907年の秋にパリで夭折した本保。その作品が故郷に建つ高岡市美術館で、ロダンの彫刻や素描と初めて大々的にめぐりあう。

 ついで本展は、本保が上野公園内の東京美術学校に通っていた19世紀末から20世紀初頭に、ロダンたちの作品が多く所蔵されている国立西洋美術館が、すでにその地にあったならどうだっただろうかと想像してみるよう、来場者一人ひとりに問い尋ねながら、その美術館の成立史やコレクション形成史をたどってゆく。さらには国立西洋美術館の母体となった松方コレクションの生みの親、松方幸次郎に先だって明治期にパリでフランス印象派らの絵画を蒐集し、日本に「西洋美術館」を建てようと考えていた高岡生まれの先駆的な美術商・林忠正の記憶も、国立西洋美術館が近年に収得した林の旧蔵作品や高岡市美術館のコレクションを通じて浮かび上がる。

 そうした展示によって、いまだ海の向こうへの自由な旅や移動に制限がかけられているコロナ禍のなか、山形とは別の「ここ」から、いくつもの「遠く」の時空を想像し続けることの可能性が示される。