EXHIBITIONS
生命
アマポーラ・プラダ/松下真理子
KEN NAKAHASHIでは、松下真理子の企画による、アマポーラ・プラダとの2人展「生命」が開催。本展は新宿のデカメロンとの2ヶ所同時開催となり、会期後半にはアマポーラ・プラダのライブ・パフォーマンスも予定している。
松下は1980年大阪府生まれ。幼少期、最初の表現は、性的暴力からの治癒と理解のために書き始めた無数の詩だった。精神的な模索と「外付けの蛇口」を求め、芸術を志す。2004年に京都市立芸術大学美術学部油画専攻を卒業。工場での労働の傍ら独自の絵画表現を再開し、2016年に《Margarita7》をはじめとする作品群で、第2回CAFFA賞(CAF・アーティスト・アワード)グランプリを受賞した。
翌年、ロンドンにてデルフィナ財団のレジデンスに滞在し、インド、ペルー、韓国、サウジアラビアなどの女性芸術家たちと親交を結ぶ。のちにアウシュヴィッツ、フィリピンの「赤い家」などを訪れ、絵画を制作。2020年はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチに影響を受けた「愛の飾らぬ言葉において」、翌年にはJ.M.クッツェーの著書から名付けた《Friday》を含む「人間の声」を発表し、重要な転換期を迎える。
いっぽうプラダはペルー・リマ在住。俳優の家庭に生まれ、20代から自身の身体をつかった表現を始める。芸術系の教育機関に進学したことはなく、過去にはペルー・カトリカ大学にて社会心理学を学んでいた。集団の一部である個人の感情、衝動、潜在的な緊張が表現されるプロセスに関心を注ぐプラダのもっとも重要な情報源は、身体の記憶だ。身体の記憶は、日常的な体験の感覚的、主観的な処理を象徴的、非言語的に表現している。
本展は松下の、私たちの生きるこの時代への危機意識、フェミニズムやポスト植民地主義への問いを発端に企画されたもの。日本では初めての展示となるプラダの映像作品を数多く紹介する。
自身の身体を屹立させるプラダの作品は、痛みを包含しつつも明晰な芸術表現に結晶化している。特徴的に現れるのは、都市における小さな自然として、つねに抑圧される女性の肉体の緊張に満ちた存在感だ。家族についての作品もまた、親密さと緊張とが交差する。
生きる痛み、人間の魂への問い、謎めいた自然を、独自の色彩感覚で描いてきた松下の映像作品や新作の油絵も、展示全体に呼応するように配置される。世界の多様な表現を目にすることで、人間とは何か改めて考え、日本をとらえ直す機会ともなるだろう。
松下は1980年大阪府生まれ。幼少期、最初の表現は、性的暴力からの治癒と理解のために書き始めた無数の詩だった。精神的な模索と「外付けの蛇口」を求め、芸術を志す。2004年に京都市立芸術大学美術学部油画専攻を卒業。工場での労働の傍ら独自の絵画表現を再開し、2016年に《Margarita7》をはじめとする作品群で、第2回CAFFA賞(CAF・アーティスト・アワード)グランプリを受賞した。
翌年、ロンドンにてデルフィナ財団のレジデンスに滞在し、インド、ペルー、韓国、サウジアラビアなどの女性芸術家たちと親交を結ぶ。のちにアウシュヴィッツ、フィリピンの「赤い家」などを訪れ、絵画を制作。2020年はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチに影響を受けた「愛の飾らぬ言葉において」、翌年にはJ.M.クッツェーの著書から名付けた《Friday》を含む「人間の声」を発表し、重要な転換期を迎える。
いっぽうプラダはペルー・リマ在住。俳優の家庭に生まれ、20代から自身の身体をつかった表現を始める。芸術系の教育機関に進学したことはなく、過去にはペルー・カトリカ大学にて社会心理学を学んでいた。集団の一部である個人の感情、衝動、潜在的な緊張が表現されるプロセスに関心を注ぐプラダのもっとも重要な情報源は、身体の記憶だ。身体の記憶は、日常的な体験の感覚的、主観的な処理を象徴的、非言語的に表現している。
本展は松下の、私たちの生きるこの時代への危機意識、フェミニズムやポスト植民地主義への問いを発端に企画されたもの。日本では初めての展示となるプラダの映像作品を数多く紹介する。
自身の身体を屹立させるプラダの作品は、痛みを包含しつつも明晰な芸術表現に結晶化している。特徴的に現れるのは、都市における小さな自然として、つねに抑圧される女性の肉体の緊張に満ちた存在感だ。家族についての作品もまた、親密さと緊張とが交差する。
生きる痛み、人間の魂への問い、謎めいた自然を、独自の色彩感覚で描いてきた松下の映像作品や新作の油絵も、展示全体に呼応するように配置される。世界の多様な表現を目にすることで、人間とは何か改めて考え、日本をとらえ直す機会ともなるだろう。