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コンピュータ・アート

Computer Art

 もともと軍事目的で開発されていたコンピュータやその周辺技術が民間利用され、さらにアーティストによって表現目的に使用されるようになったのが、「コンピュータ・アート」の始まりである。

 初期の例としては、1952年に、アメリカの数学者でアーティストのベン・ラポスキーは、オシロスコープを使用して電子的なパターンをその蛍光面に表出する作品シリーズ「Oscillons」を制作した。イギリスのデスモンド・ポール・ヘンリーは、50年代に第二次世界大戦中に使用されたアナログの爆撃照準器を改造し始め、60年に「ヘンリー・ドローイング・マシン」を完成させた。これは画像を出力する自作のプロッターであり、ジェネラティブな原理によるグラフィック表現の先駆的なものである。ラポスキーの図形のオシロスコープ画面出力や、ヘンリーの機械仕掛けのドローイングは、アルゴリズムを用いたコンピュータ・アートの基本要素を見せている。

 パーソナル・コンピュータが出現するまでは、コンピュータは非常に高価なものであり、コンピュータ利用は研究機関、研究大学、大企業に限られていた。62年にベル研究所のマイケル・ノルが、コンピュータで芸術目的のプログラミングで視覚的なパターンを描画したのが、実質的なコンピュータ・アートの開始とも言える。画像を中心にしたコンピュータ・グラフィクスでは、65年にドイツで「Computer Graphik」展、アメリカで「Computer-Generated Pictures」展が開催された。また68年にロンドンのICAでは、映像、グラフィクス、ロボティクス、サウンドや情報理論なども含めた多様で画期的な「サイバネティック・セレンディピティ」展が開催され、アメリカにも巡回した。この活動には、日本からは、CTG(コンピュータ・テクニック・グループ)も参加した。CTGは、66年に、芸術系、工学系の学生であった幸村真佐男、槌屋治紀の出会いから始まり、10名ほどが加わったグループで、日本IBMなどの企業の支援も受けて制作し、作品は海外でも大いに注目され、多彩な活動を行った。日本でのコンピュータ・アートの先駆けである。

「コンピュータ・アート」は、ディスプレイ、プリンター、プロッター、音響装置、ヘッドマウントディスプレイ、記憶メディア、ネットワーク、動力装置などへの出力を、アルゴリズムを用いて造形や操作することに特徴づけられている。その思想は、技術のみならず、広く文化、社会、科学領域を横断している。現在では、コンピュータを使用したアートは多様に拡大しており、「コンピュータ・アート」という名称は、すでに時代性をもったものと考えられる。

文=沖啓介

参考文献
大泉和文『コンピュータ・アートの創生:CTGの軌跡と思想 1966-1969』(NTT出版、2015)
『20世紀コンピューター・アートの軌跡と展望:現代アルゴリズム・アートの先駆者・現代作家の作品・思想』(芸術アルゴリズム研究会、多摩美術大学美術館、2006)
スチュアート・クランツ、エリザベス・S・ファウラ、マーガレット・ホルトン『Science & Technology in the Arts : A Tour Through The Realm of Science Art』(V. N. Reinhold, 1974)
ベン・F・ラポスキー「Oscillons: Electronic Abstractions」『Leonardo Vol. 2, No. 4』 (The MIT Press、1969、345-354頁)