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ウィリアム・モリス

William Morris

 ウィリアム・モリスは1834年イギリス・ロンドン生まれの詩人、作家、デザイナー、社会主義者。中産階級の家庭に生まれ、幼少期はエリザベス1世が狩猟を楽しんだエピングの森を遊び場とする。エリザベス女王の狩猟小屋で目にした「緑のタペストリー」や自然との触れ合いが、後に才能を発揮する壁紙やテキスタイルのデザインの創作源のひとつとなっている。また読書家で、とくに中世の物語を好み、8歳のときに連れられて訪れたカンタベリー大聖堂に感銘を受ける。

 53年、聖職者になるための教育を受けるべく、オックスフォード大学エクセター・カレッジに入学。ここでエドワード・バーン=ジョーンズに出会う。2人で旅行したベルギーとフランスで、フランドル絵画とゴシック様式の大聖堂を鑑賞。これをきっかけに建築家を志して、ジョージ・エドマンド・ストリートに入門する。修行後、ともに生活を送るバーン=ジョーンズが師事していた、ラファエル前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと交流し、画家へ転向。この縁で、ロセッティが依頼されたオックスフォード・ユニオンの壁画制作に参加し、中世ギルドのような共同制作の現場を初めて体験する。

 59年にジェイン・バーデンと結婚。新居となる「レッド・ハウス」の建築をオックスフォード大学の仲間らと手がけ、内装をモリス自らが担当したことが、61年の「モリス・マーシャル・フォークナー商会」創設の契機となる。商会の主要メンバーは、バーン=ジョーンズ、「レッド・ハウス」を設計したフィリップ・ウェッブら。主にステンドグラスと家具の仕事に始まり、第2回ロンドン万国博覧会(1862)の出展で評価されて、セント・ジェームス宮殿の内装を依頼されるなど軌道に乗る。75年、商会を単独経営のモリス商会に改組。テキスタイルのデザインや天然染料の使用に注力し、人気作《いちご泥棒》(1883)、《クレイ》(1884)などが生まれる。

 76年に東方問題協会に参加し、政治に参入。77年には古建築物保護協会を設立し、修復と銘打った歴史的建造物の破壊に異を唱える。オックスフォード大学のユニヴァーシティ・カレッジでの講演「金権政治下の芸術」で、社会主義者を公言。労働を喜びとし、自然と人、人同士が調和する理想の社会のあり方を『ユートピアだより』(1890)に著した。モリスの思想は、若手の建築家やデザイナーらからなる「アーツ・アンド・クラフツ運動」へと継承される。

 代表的な詩作に『地上の楽園』(1868)、『ジェイスンの生と死』(1867)。晩年は「ケルムスコット・プレス」で製本に従事し、美しい本へのこだわりは活字のデザインにも及ぶ。最後の仕事となる『ジェフリー・チョーサー著作集』を出版。96年没。