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長谷川等伯
Tohaku Hasegawa
長谷川等伯は天文8年(1539)年、能登国七尾(現・石川県七尾市)生まれ。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した。幼名は又四郎、のち帯刀(たてわき)。初期は信春と号した。元亀2年(1571)頃に上洛し、雪舟の後継者を自称し、等伯と名を改める。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、狩野永徳ら狩野派と対抗した。永徳、海北友松らとともに桃山時代を代表する画人とされる。代表作に、四つほどの松林を緻密に計算し配置した水墨画の最高峰と称される国宝《松林図屏風》(1593-95頃、東京国立博物館蔵)をはじめ、2歳で夭折した豊臣秀吉の長男・鶴松の菩提を弔うために建立された京都・祥雲寺に描かれた障壁画の国宝《楓図》(1592頃)などがある。現存作品数は80点ほどで、その多くが国宝あるいは重要文化財に指定されている。慶長15(1610)年没。