
東京都庭園美術館で開催中の「永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル ─ ハイジュエリーが語るアール・デコ」の展覧会場を、ファッション文化論を専門とする神戸大学大学院教授・平芳裕子が訪問。展示を玩味したのち、ファッション文化史におけるアール・デコという潮流の意味と意義について語ってもらった。
ジュエリーと空間、呼応し合うアール・デコ
会場を一巡してまず平芳が注目したのは、展示空間と作品のなじみ具合だ。本展は1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称 アール・デコ博覧会)」の、100周年を記念したもの。ヴァン クリーフ&アーペルはアール・デコ博覧会の宝飾部門に複数点出品しグランプリを受賞しているが、東京都庭園美術館として使われている旧朝香宮邸はまさにアール・デコの精華といえる。平芳はこの展示空間について次のように話す。

「作品と空間をアール・デコ一色に統一して、当時の空気を存分に感じさせる展示になっています。1906年創業のヴァン クリーフ&アーペルにとって、アール・デコの時代は草創・発展期にあたります。ジュエラーとして勢いのある時期の作品が一堂に集まっているのは壮観であり、貴重な光景ですね。空間と作品を強く結びつけているのは、什器の力も大きいように思えます。一つひとつの展示ケースが各室の雰囲気に合わせてつくられていて、まるでもとからある家具のように収まっています。そのおかげで観客は、一点ずつのジュエリーに意識を集中させることができます」。
本展は作品のディテールに注目してもらうために、美術館・文化施設を多く手がけている西澤徹夫建築事務所に会場構成を依頼。絨毯もすべて敷き替えた。どの部屋にどんな作品を置くかは、メゾンのフランス本社の専門チームと議論を重ねたという。現代に通じる装飾の精神を展示品に見る出品作のうち、とくに目を引いたものを平芳に挙げてもらった。まずは「大客室」に展示されている《パンピーユ イヤリング》(1924)だ。

「四角いダイヤモンドが、ブリリアントカットとカリブルカットを施したダイヤモンドのリンクにつながり、その下に天然パールが吊り下げられています。パールはティアドロップ形で、左右で白と黒、色を違うものにしているところが洒落ています。直線的なつくりとパールの存在感が洗練されたセンスで組み合わされ、『身につけてみたい!』という気持ちにさせられます。この作品に合わせて、大客室の展示全体をツートンカラーで構成してあるのも効果的です」。
「大客室」から続く「大食堂」の《絡み合う花々、赤と白のローズ ブレスレット》(1924)も、アール・デコの持ち味がよく出た作品として高く評価する。

「アール・ヌーヴォーからの流れで自然のモチーフを用いながら、そこに幾何学的なデザインを加え、モチーフをパターン化したのがアール・デコの特質です。このブレスレットは赤と白のローズの意匠が一列に並んでいますが、一つひとつの花の造形が異なります。パターン化されたモダンなデザインを取り入れながら、職人的な手仕事の良さも残しているわけです。これを身につけた女性はあらゆるディテールを見ながら楽しみが尽きないことでしょう。近くに展示された《ローズ ブローチ》(1925)は、石によってバラの花弁の盛り上がりがつくられていたり、茎の部分をオニキスの黒で縁取ってあったりして表現豊かです。輪郭までストーンで描いてしまおうという発想がすばらしいです。また、「喫煙室」の《コルレット》(1929)は、バゲットカットやエメラルドカットのダイヤモンドが輪を成すなかに、大粒のエメラルドがいくつもグラデーションで配されています。インクルージョン(宝石内の内包物)が見えて、小宇宙のようで吸い込まれそうです。当時は天然のインクルージョンの美しさを存分に楽しんでいたのですね。同じくエメラルドのブレスレットもあり、ダイヤモンドの規則的・幾何学的な並びが背景となって、エメラルドの美しさと存在感を引き立てています」。

ー、ダイヤモンド ©Van Cleef & Arpels
本館2階はかつて居住空間だったため、女性にとって親密感のある作品を多く展示している。《カメリア ミノディエール》(1938)は、内部に鏡、口紅、ライターなど必需品をコンパクトに収めた逸品だ。

「メモパッドにもゴールドとルビーが施されていて、なんて贅沢なことかと思います。ヴァン クリーフ&アーペルが独自に開発した、石留めの爪を表面から隠す技法『ミステリーセット』を用いて、洗練された造形美が実現されています。どんどん行動的になっていくこの時代の女性たちを支える、大切なアイテムだっただろうと思われます。同じ本館2階の『北の間』では、アール・デコ期のファッション展示もあります。マネキンからも当時のスタイリングがわかる凝りようで、時代の雰囲気がよく伝わってきます。服飾史においてアール・デコの時代といえば、直線的でシンプルなデザインが強調されますが、オートクチュール(高級仕立服)の時代でもあるので、ビーズが敷き詰められたりスパンコールがちりばめられたりと、一点ずつ手の込んだつくりになっているのも見てとれます。しかも当時の女性服は、生地がごく薄い。それに合わせてジュエリーも、パヴェダイヤモンドを満遍なく並べたりと、平面的なデザインが目指されました。立体的な石を用いて面を出すのは難しく、この時期には様々な加工の技術も開発されました」。
アール・デコという時代からいま学べること
展示は本館だけにとどまらず、「新館ギャラリー1」へと続く。ここでは「サヴォアフェールが紡ぐ庭」と題して、ヴァン クリーフ&アーペルの匠の技を紹介している。花や動物に着想を得たジュエリーを多く集め、色鮮やかな庭園を生み出そうという趣向だ。このようなモチーフは、まさにヴァンクリーフ&アーペルが得意とするところだと平芳は語る。

「鳥、昆虫、花といった自然のモチーフは、いかにも一点ものという佇まい。ジュエリー表現の真骨頂を見る思いです。1930年代以降の作品は華やかさがあって見栄えがしますね」。
アール・デコの潮流とその時代についてより深く知り、体感する機会を、とのねらいで企画された本展。ファッション史の観点から見ると、アール・デコはどんな捉え方ができるのだろうか。
「アール・デコ博覧会が開かれた1920年代は、現代ファッションの源流となる時代です。本館2階に展示されていた20年代のファッションは、いまも着ようと思えば着られますが、それ以前のファッションは着られません。専用の下着が必要となるからです。コルセットで絞り込んで異様に細くした腰を起点にドレスを広げる、19世紀の肖像画によく描かれているようなスタイルがスタンダードだったのです。20世紀に入ると人々の生活に余暇が生まれ、鉄道など交通機関も発達したことから、人は遠くまで出かけるようになります。散策やスポーツ、レジャーが流行り出し、軽快な格好が必要となって、コルセットを用いない丈の短いワンピースなどが登場します。女性の社会進出も進み、女性服の活動性と自由度はどんどん高まっていき、その流れが現在にまで連なっていきます。本展で見られるジュエリーは、ファッションが大衆に開かれ始めた時代の息吹を、はっきりと感じさせるものです。朝香宮夫妻は、アール・デコ博覧会を観覧した体験をもとに、この邸宅を建てたといいます。当時パリで隆盛していた、洗練されたアール・デコ様式を下敷きにしているわけです。本展はこの建築に合う作品を選んでいるので、アール・デコのもつ最も優美で可憐な一面を、たっぷり見ることができるのです。美術史的にはもちろんのこと、ファッション史や文化史的にも、非常に見応えのある展示となっています」。

このところ日本国内で増えているジュエリー展の、今日的な意義はどこにあるだろうか。
「ヴァンクリーフ&アーペルに代表されるような、ヨーロッパの伝統あるジュエリーが美術館で展示されるようになったこと自体が画期的です。ヨーロッパでのジュエリーの歴史は長く、信仰や権威の象徴など様々な役割を担ってきました。対して日本では、そうしたジュエリーの長い歴史はありません。明治期に洋装化が始まってからジュエリーが用いられるようになりますが、女性の洋装化が本格化したのは戦後ですので、ファッションの歴史自体が非常に短いのです。そのためか、ファッションやジュエリーというのはジャンルとして軽視されがちで、美術館でファッション展が行われるようなことは長らくありませんでした。ここへきてようやく、ファッションやジュエリーのような応用芸術・装飾美術と呼ばれるジャンルにも、優れた職人技と芸術的センスが同居する作品が多数あるということが知られ、評価されるようになってきました。ヴァン クリーフ&アーペルの展示は、装飾美術の豊かな世界があることを実地に示すものであり、それらにふれることが私たちの日常を豊かにし、想像力を養ってくれるものだということがよくわかります。さらにいえば、ジュエリーというのは自然科学と芸術文化が融合した世界でもあります。もともと地中深くに眠る石があるとき人間によって見出され、編み出された技術によってカット・研磨されて輝きを放ち始め、想像力を駆使したデザインが施されたうえで身につけられるジュエリーとなりました。今回の展示でもジュエリーデザインのためのイラストや下絵が多数出品されていましたが、それらはたんなる石が作品へと変貌するにあたって重要な役割を果たしています。ジュエリーとは、自然の大いなる力と、人間の知力・美的感覚が出会い、合わさって生み出されているもの。そんな壮大なストーリーを感じさせてくれるのが、ジュエリー展のおもしろさであると思います」。









