EXHIBITIONS
木下佳通代
等価に存在する何か。
1939年に神戸に生まれ60年代から作家活動を始めた木下佳通代は、94年に亡くなるまで「我々が存在する世界の中における存在とは何か」という問いを、作品を通して概念化し続けた作家だった。
戦後、50年代半ばから70年代初頭にかけ、関西では具体美術がアートシーンの中心となるが、その一方で、60年代から70年代初頭にかけては、ハイレッドセンター、ネオダダや九州派、時間派といったハプニング、イベントといったパフォーマンスを中心としたグループが、反芸術運動の気運のもと、全国に次々と形成されていった。そうした時代の境界で活動を始めた木下は、66年に初めての個展を行い、また65年から68年まで、神戸で河口龍夫をリーダーとし結成されたグループ「位」と行動をともにした。
こうして、70年代半ばまでは主に写真を用いて制作してきた木下だったが、70年代の後半からは、平面と空間における存在の在り方、存在そのものを平面上で作るという新たな表現の試みへと移行。これまでの自己の概念的なものへのこだわりを捨て、限られた平面をいかに自立させて積極的に存在させるか、言葉を超えて、より自由な精神の開放の場としての絵画を求めた。
本展は、初期の写真作品と晩年まで描き続けた絵画作品を前期、後期に分けて紹介する。
戦後、50年代半ばから70年代初頭にかけ、関西では具体美術がアートシーンの中心となるが、その一方で、60年代から70年代初頭にかけては、ハイレッドセンター、ネオダダや九州派、時間派といったハプニング、イベントといったパフォーマンスを中心としたグループが、反芸術運動の気運のもと、全国に次々と形成されていった。そうした時代の境界で活動を始めた木下は、66年に初めての個展を行い、また65年から68年まで、神戸で河口龍夫をリーダーとし結成されたグループ「位」と行動をともにした。
こうして、70年代半ばまでは主に写真を用いて制作してきた木下だったが、70年代の後半からは、平面と空間における存在の在り方、存在そのものを平面上で作るという新たな表現の試みへと移行。これまでの自己の概念的なものへのこだわりを捨て、限られた平面をいかに自立させて積極的に存在させるか、言葉を超えて、より自由な精神の開放の場としての絵画を求めた。
本展は、初期の写真作品と晩年まで描き続けた絵画作品を前期、後期に分けて紹介する。