EXHIBITIONS
生誕120年 高橋周桑 ーモダンとロマンー
高橋周桑(たかはし・しゅうそう、1900〜1964)は、速水御舟に師事し、戦後において新しい日本画表現を追求した画家。その芸術を回顧する特別展「生誕120年 高橋周桑 ーモダンとロマンー」が田辺市立美術館に巡回する。
高橋は愛媛県出身。18歳の時に速水御舟の作品評と作品図版に接して感激し、絵を描き始めた。その後、御舟に手紙を送り、1921(大正10)年に上京して師事、まもなく生活をともにして修業を重ねた。
1928(昭和3)年、再興第15回院展で初入選した高橋は、その2年後の再興第17回院展で日本美術院賞を受けて院友となった。1935(昭和10)年に御舟が没してからはほかの画家に学ぶことなく、師の遺品の整理に尽力。1947(昭和22)年の再興第32回院展で無鑑査となるが、翌年に山本丘人、上村松篁、吉岡堅二、福田豊四郎、秋野不矩らと「創造美術」を旗揚げして日本美術院を離脱し、新しい時代の日本画創造を目指して自身の表現を展開した。
1951(昭和26)年に「創造美術」が「新制作派協会」と合流して「新制作協会日本画部」となって以降も、高橋は同会員として出品。また舞台衣装や舞台美術も手がけるなど創作の幅を広げるなか、病に倒れて63歳で生涯を閉じた。
本展では、2020年に生誕120年を迎えた高橋の制作の歩みを振り返るもの。「創造美術」を創立した画家たちを紹介してきた、浜松市秋野不矩美術館と田辺市立美術館の共同企画により、これまでほとんど表舞台に出ることのなかった高橋の画業を本格的に回顧する。
高橋は愛媛県出身。18歳の時に速水御舟の作品評と作品図版に接して感激し、絵を描き始めた。その後、御舟に手紙を送り、1921(大正10)年に上京して師事、まもなく生活をともにして修業を重ねた。
1928(昭和3)年、再興第15回院展で初入選した高橋は、その2年後の再興第17回院展で日本美術院賞を受けて院友となった。1935(昭和10)年に御舟が没してからはほかの画家に学ぶことなく、師の遺品の整理に尽力。1947(昭和22)年の再興第32回院展で無鑑査となるが、翌年に山本丘人、上村松篁、吉岡堅二、福田豊四郎、秋野不矩らと「創造美術」を旗揚げして日本美術院を離脱し、新しい時代の日本画創造を目指して自身の表現を展開した。
1951(昭和26)年に「創造美術」が「新制作派協会」と合流して「新制作協会日本画部」となって以降も、高橋は同会員として出品。また舞台衣装や舞台美術も手がけるなど創作の幅を広げるなか、病に倒れて63歳で生涯を閉じた。
本展では、2020年に生誕120年を迎えた高橋の制作の歩みを振り返るもの。「創造美術」を創立した画家たちを紹介してきた、浜松市秋野不矩美術館と田辺市立美術館の共同企画により、これまでほとんど表舞台に出ることのなかった高橋の画業を本格的に回顧する。