EXHIBITIONS
生けるガラス-中川幸夫の花器
香川県丸亀市で生まれた中川幸夫(1918〜2012)は、既存の華道流派に属することなく、独自の花の表現を追求した孤高のいけばな作家。
3歳の時に事故による怪我がもとで脊椎カリエスを患った中川は、大阪の印刷会社で働くも、23歳の時に病気のために丸亀に帰郷し、池坊に所属していた伯母の元でいけばなを学んだ。
その後、作庭家の重森三玲が主宰する前衛いけばな研究グループ「白東社」に参加。流派を超えた前衛いけばなの世界で活動する。38歳で東京に活動の場を移すも、流派に属さないために弟子を取ることもできなかった中川は、極貧生活のなかで自身のいけばなを貫いた。
花が生きて死ぬまでの姿を見つめ、朽ちていく過程をサディスティックとも言える手法でとらえた作品群で知られる中川。命そのもののあり様を花で表現した作品や制作態度は、ジャンルを超えていまなお多くの作家たちに影響を与えている。
本展では、中川が自身のいけばなのために制作したガラス器を中心に展示。「花を生ける」ガラス、「生きた」ガラスを通して、徹底して自由であり続けた「命」の表現を紹介する。
るつぼのなかで溶解したガラスに感じた生命を花に重ね合わせ、ガラスを単なる花器としてではなく、花と等価の素材としていけばなのなかで表現した中川のガラスには、血肉を持っているかのような生々しさ、生命感がある。
3歳の時に事故による怪我がもとで脊椎カリエスを患った中川は、大阪の印刷会社で働くも、23歳の時に病気のために丸亀に帰郷し、池坊に所属していた伯母の元でいけばなを学んだ。
その後、作庭家の重森三玲が主宰する前衛いけばな研究グループ「白東社」に参加。流派を超えた前衛いけばなの世界で活動する。38歳で東京に活動の場を移すも、流派に属さないために弟子を取ることもできなかった中川は、極貧生活のなかで自身のいけばなを貫いた。
花が生きて死ぬまでの姿を見つめ、朽ちていく過程をサディスティックとも言える手法でとらえた作品群で知られる中川。命そのもののあり様を花で表現した作品や制作態度は、ジャンルを超えていまなお多くの作家たちに影響を与えている。
本展では、中川が自身のいけばなのために制作したガラス器を中心に展示。「花を生ける」ガラス、「生きた」ガラスを通して、徹底して自由であり続けた「命」の表現を紹介する。
るつぼのなかで溶解したガラスに感じた生命を花に重ね合わせ、ガラスを単なる花器としてではなく、花と等価の素材としていけばなのなかで表現した中川のガラスには、血肉を持っているかのような生々しさ、生命感がある。