EXHIBITIONS
沖縄アジア国際平和芸術祭2020 沖縄アジア戦後民衆の抵抗の表現
阿波根昌鴻「人間の住んでいる島」と比嘉豊光「島クトゥバで語る戦世(いくさゆ)-伊江島編」
佐喜眞美術館では「沖縄戦から75年」企画として、平和運動家・阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)の写真展と、写真家・比嘉豊光の展覧会「島クトゥバで語る戦世―伊江島編」を開催している。
離島で唯一米軍基地を抱える伊江島は、沖縄戦・戦後を通しその過酷な歴史から「沖縄の縮図」とも呼ばれてきた。沖縄戦では疎開せず残った島民の約3分の1が亡くなり、島ごと米軍に占領され、さらに55年からは米軍の非人道的な強制収用によって宜野湾の伊佐浜と同様に「銃剣とブルトーザー」で米軍基地が拡張された。こうした経緯から、伊佐浜と伊江島での闘いが起点となった56年の「島ぐるみ土地闘争」は、戦後沖縄の民衆の「抵抗」の原点となっている。
阿波根は、米軍との土地闘争の先頭に立ち続け、運動の精神的な支えとなった平和運動家。「戦争の世紀」である20世紀を生き抜いた阿波根は、占領者としての圧倒的な権力で自らに不利な情報や事実に対し、平然と証拠隠と捏造を行う米軍と闘うための武器として日々記録を綴ったノートとともにその証拠を写真に撮影。その記録には悲惨な暴力の現場だけでなく、全国からの支援者への返礼として、また叩きのめされる日常でも人間としての尊厳を失わず、毅然とした姿でレンズに向かう農民たちの姿が映し出され、一人ひとりの眼差しは時代を超えて見る者の胸を打つ。
本展では、阿波根の写真とともに写真家・比嘉豊光(1950〜)の「島クトゥバで語る戦世-伊江島編」シリーズを展示。
比嘉は、1997年から「琉球弧を記録する会」の村山友江とともに自らの「島クトゥバ(生まれ育った地域の言葉)」で戦世を語ってもらうプロジェクトを沖縄各地で進めてきた。2002年と05年に訪れた伊江島では、島の公民館などをまわり総勢50名による戦争体験の証言を映像と写真で記録。何十年も沈黙のままであった記憶を自らの言葉で語る証言者は、恐怖の記憶が根幹に触れると言葉が途切れ、語るのを止め、時には震え出し、生き残ってもなお戦争の記憶に苦しめられる姿が生々しく写し出されている。
本展は、阿波根昌鴻の写真80点、映像、関連資料と、比嘉による「島クトゥバで語る戦世-伊江島篇」の映像と写真約40点で構成。常設の丸木位里・丸木俊の《沖縄戦の図》とともに、戦世(いくさゆ)を経て「命(ヌチ)どぅ宝(タカラ)」の言葉に込めた体験者の切実な思いを改めて考えさせてくれるだろう。
離島で唯一米軍基地を抱える伊江島は、沖縄戦・戦後を通しその過酷な歴史から「沖縄の縮図」とも呼ばれてきた。沖縄戦では疎開せず残った島民の約3分の1が亡くなり、島ごと米軍に占領され、さらに55年からは米軍の非人道的な強制収用によって宜野湾の伊佐浜と同様に「銃剣とブルトーザー」で米軍基地が拡張された。こうした経緯から、伊佐浜と伊江島での闘いが起点となった56年の「島ぐるみ土地闘争」は、戦後沖縄の民衆の「抵抗」の原点となっている。
阿波根は、米軍との土地闘争の先頭に立ち続け、運動の精神的な支えとなった平和運動家。「戦争の世紀」である20世紀を生き抜いた阿波根は、占領者としての圧倒的な権力で自らに不利な情報や事実に対し、平然と証拠隠と捏造を行う米軍と闘うための武器として日々記録を綴ったノートとともにその証拠を写真に撮影。その記録には悲惨な暴力の現場だけでなく、全国からの支援者への返礼として、また叩きのめされる日常でも人間としての尊厳を失わず、毅然とした姿でレンズに向かう農民たちの姿が映し出され、一人ひとりの眼差しは時代を超えて見る者の胸を打つ。
本展では、阿波根の写真とともに写真家・比嘉豊光(1950〜)の「島クトゥバで語る戦世-伊江島編」シリーズを展示。
比嘉は、1997年から「琉球弧を記録する会」の村山友江とともに自らの「島クトゥバ(生まれ育った地域の言葉)」で戦世を語ってもらうプロジェクトを沖縄各地で進めてきた。2002年と05年に訪れた伊江島では、島の公民館などをまわり総勢50名による戦争体験の証言を映像と写真で記録。何十年も沈黙のままであった記憶を自らの言葉で語る証言者は、恐怖の記憶が根幹に触れると言葉が途切れ、語るのを止め、時には震え出し、生き残ってもなお戦争の記憶に苦しめられる姿が生々しく写し出されている。
本展は、阿波根昌鴻の写真80点、映像、関連資料と、比嘉による「島クトゥバで語る戦世-伊江島篇」の映像と写真約40点で構成。常設の丸木位里・丸木俊の《沖縄戦の図》とともに、戦世(いくさゆ)を経て「命(ヌチ)どぅ宝(タカラ)」の言葉に込めた体験者の切実な思いを改めて考えさせてくれるだろう。