EXHIBITIONS
ジャスパー・ジョーンズ「Usuyuki」展
アメリカ出身のアーティスト、ジャスパー・ジョーンズによる版画とドローイングの展示が開催される。
ジョーンズは1930年生まれ。日本との縁は深く、52〜53年の6ヶ月間、朝鮮戦争の時代に仙台で駐留し、米軍兵向けに放映される映画や教育目的のポスターを制作。ニューヨークへ帰国後も、コロンビア大学で仏教学者の鈴木大拙の講義を受けていた作曲家ジョン・ケージとの交友を通して、日本文化への関心を深めた。また59年に美術評論家の東野芳明と出会い、以降ジョーンズの制作は東野の評論を通して日本に幅広く紹介されてきた。
その後、64年に再来日したジョーンズは銀座の美術家会館に3ヶ月間スタジオを構え、その間、武満徹、三木富雄、篠原有司男、南画廊のオーナー・志水楠男らと交流。60〜70年代を通して南画廊で展覧会を開催し、オープニングのため度々日本を訪れた。
80年には、刷り師の川西浩史、野中健次郎、島田毅がニューヨークで当時設立したばかりの「シムカ プリント アーチスツ」でスクリーンプリントの制作に着手。ここで、男女の出会いと別れの物語がもととなった歌舞伎演目「新薄雪物語」の、「薄雪」という言葉から「Usuyuki」シリーズを構想する。
「Usuyuki」(1979〜2004)は、絵画4点、ドローイング15点、版画5点からなるシリーズ。本展では同シリーズより9点を展示し、移ろいく天候や突然訪れる別れといった世の無常、「薄雪」の言葉に内在する再生というテーマを通したジョーンズの展開を紹介する。
ジョーンズは1930年生まれ。日本との縁は深く、52〜53年の6ヶ月間、朝鮮戦争の時代に仙台で駐留し、米軍兵向けに放映される映画や教育目的のポスターを制作。ニューヨークへ帰国後も、コロンビア大学で仏教学者の鈴木大拙の講義を受けていた作曲家ジョン・ケージとの交友を通して、日本文化への関心を深めた。また59年に美術評論家の東野芳明と出会い、以降ジョーンズの制作は東野の評論を通して日本に幅広く紹介されてきた。
その後、64年に再来日したジョーンズは銀座の美術家会館に3ヶ月間スタジオを構え、その間、武満徹、三木富雄、篠原有司男、南画廊のオーナー・志水楠男らと交流。60〜70年代を通して南画廊で展覧会を開催し、オープニングのため度々日本を訪れた。
80年には、刷り師の川西浩史、野中健次郎、島田毅がニューヨークで当時設立したばかりの「シムカ プリント アーチスツ」でスクリーンプリントの制作に着手。ここで、男女の出会いと別れの物語がもととなった歌舞伎演目「新薄雪物語」の、「薄雪」という言葉から「Usuyuki」シリーズを構想する。
「Usuyuki」(1979〜2004)は、絵画4点、ドローイング15点、版画5点からなるシリーズ。本展では同シリーズより9点を展示し、移ろいく天候や突然訪れる別れといった世の無常、「薄雪」の言葉に内在する再生というテーマを通したジョーンズの展開を紹介する。