EXHIBITIONS
彦坂尚嘉 「PWP: Practice by Wood Painting」
MISA SHIN GALLERYで、彦坂尚嘉の個展 「PWP: Practice by Wood Painting」が開催されている。
彦坂は全裸で自室の畳の床と縁側にラテックスを撒き、一連の行為を写真に記録したパフォーマンス「フロア・イベント」(1970)で知られている。美術表現の制度そのものを根元から問い直し70年代以降の日本のコンセプチュアリズムを主導した。69年、掘浩哉らとともに結成した「美術家共闘会議」(美共闘)の主要メンバーとして、美術の制度批判を追求した彦坂は、70年から75年まで、「フロア・イベント」とそのバリエーションを展開した後、美共闘の活動の終焉とともに、「プラクティス」(直訳すると「実践」)のコンセプトの下に新たな探求を行う。
彦坂のプラクティス論は、アリストテレスに参照したポイエーシス(制作)とプラークシスに始まり、毛沢東の実践論に根ざした実践と認識の連鎖へと偏していく。その最終段階として制作における実践と理論化を具現するのが、77年から始まった「プラクティス・バイ・ウッド・ペインティング」(Practice by Wood Painting; PWPと略)シリーズとなる。
60年代後半、当時多摩美術大学の学生だった彦坂は、国内外で急速に変化し、非物質化する現代美術の様相に衝撃を受け、69年6月、バリケードで封鎖された多摩美術大学のキャンパスで開催されたグループ展で、キャンバスの代わりに木枠に貼られた透明なビニールシートを用い木枠から壁が見えたり、木製のパネルをフレームに挿入し壁を隠した作品や、ビニールシートを床に落とし木枠のフレームを壁に残した作品を発表。これらの絵画の解体とも言える最初期の作品は、自立した物体としての絵画の自明性に疑問を呈した。
本展では近年、作家のスタジオで新たに発見された80年代から90年代の「ウッド・ペインティング」を12点を展示する。ミニマルなフォルムと色調、異なる形状の支持体の上に描かれた、透明絵具による多彩な表皮やフラクタルな形が特徴的な抽象画など、いままで公開されることのなかった彦坂の「ウッド・ペインティング」を紹介する。
彦坂は全裸で自室の畳の床と縁側にラテックスを撒き、一連の行為を写真に記録したパフォーマンス「フロア・イベント」(1970)で知られている。美術表現の制度そのものを根元から問い直し70年代以降の日本のコンセプチュアリズムを主導した。69年、掘浩哉らとともに結成した「美術家共闘会議」(美共闘)の主要メンバーとして、美術の制度批判を追求した彦坂は、70年から75年まで、「フロア・イベント」とそのバリエーションを展開した後、美共闘の活動の終焉とともに、「プラクティス」(直訳すると「実践」)のコンセプトの下に新たな探求を行う。
彦坂のプラクティス論は、アリストテレスに参照したポイエーシス(制作)とプラークシスに始まり、毛沢東の実践論に根ざした実践と認識の連鎖へと偏していく。その最終段階として制作における実践と理論化を具現するのが、77年から始まった「プラクティス・バイ・ウッド・ペインティング」(Practice by Wood Painting; PWPと略)シリーズとなる。
60年代後半、当時多摩美術大学の学生だった彦坂は、国内外で急速に変化し、非物質化する現代美術の様相に衝撃を受け、69年6月、バリケードで封鎖された多摩美術大学のキャンパスで開催されたグループ展で、キャンバスの代わりに木枠に貼られた透明なビニールシートを用い木枠から壁が見えたり、木製のパネルをフレームに挿入し壁を隠した作品や、ビニールシートを床に落とし木枠のフレームを壁に残した作品を発表。これらの絵画の解体とも言える最初期の作品は、自立した物体としての絵画の自明性に疑問を呈した。
本展では近年、作家のスタジオで新たに発見された80年代から90年代の「ウッド・ペインティング」を12点を展示する。ミニマルなフォルムと色調、異なる形状の支持体の上に描かれた、透明絵具による多彩な表皮やフラクタルな形が特徴的な抽象画など、いままで公開されることのなかった彦坂の「ウッド・ペインティング」を紹介する。