EXHIBITIONS
没後25年記念特別企画
斎藤清版画展 飛翔するノスタルジア
「斎藤清版画展 飛翔するノスタルジア」が、高崎市タワー美術館で開催されている。
1907(明治40)年、福島県河沼郡会津坂下町に生まれた版画家・斎藤清は、日本の近代版画を代表する作家のひとり。父親の事業の行き詰まりによって4歳で郷里・会津を離れ、その後、北海道夕張から小樽、札幌へと移り住んだ。尋常高等小学校の卒業後は、看板店で働き、また図画教員の成田玉泉にデッサンや油彩を教わるが、より本格的に勉強するため、1931(昭和6)年に東京へ移住。広告宣伝の仕事をしながら絵を学び、1932(昭和7)年には第9回白日会展に出品した油彩画が初入選を果たした。1936(昭和11)年、安井曾太郎の木版画《正月娘姿》に刺激を受けて制作した《子供座像》《子供》が第5回日本画協会展に初入選、以降、版画制作へと傾倒していった。
1949(昭和24)年、在日外交官の夫人らが主催して旧徳川邸で開催されたサロン・ド・プランタン展に出品の《ミルク》が一等賞を受賞。昭和26(1951)年にはサンパウロ・ビエンナーレに日本代表として《凝視(花)》を出品するなど、外国人のあいだで人気となって海外でめざましい活躍を見せ、1997(平成9)年に90歳で亡くなるまで、世界的に知られる版画家として国内外で数々の作品を発表した。柔らかな曲線とシャープな直線とを自在に組み合わせて構築されたシンプルな構図は、対象となるものの特徴を的確にとらえ、いまも多くの人を魅了し続けている。
本展覧会では、戦後から晩年まで、およそ半世紀におよぶ斎藤清の作品群のなかから版画作品89点を厳選し、9つの章で展示。また、創刊号から担当したNHK『きょうの料理』のテキスト表紙絵もあわせて紹介し、斎藤作品の造形の魅力に迫る。
1907(明治40)年、福島県河沼郡会津坂下町に生まれた版画家・斎藤清は、日本の近代版画を代表する作家のひとり。父親の事業の行き詰まりによって4歳で郷里・会津を離れ、その後、北海道夕張から小樽、札幌へと移り住んだ。尋常高等小学校の卒業後は、看板店で働き、また図画教員の成田玉泉にデッサンや油彩を教わるが、より本格的に勉強するため、1931(昭和6)年に東京へ移住。広告宣伝の仕事をしながら絵を学び、1932(昭和7)年には第9回白日会展に出品した油彩画が初入選を果たした。1936(昭和11)年、安井曾太郎の木版画《正月娘姿》に刺激を受けて制作した《子供座像》《子供》が第5回日本画協会展に初入選、以降、版画制作へと傾倒していった。
1949(昭和24)年、在日外交官の夫人らが主催して旧徳川邸で開催されたサロン・ド・プランタン展に出品の《ミルク》が一等賞を受賞。昭和26(1951)年にはサンパウロ・ビエンナーレに日本代表として《凝視(花)》を出品するなど、外国人のあいだで人気となって海外でめざましい活躍を見せ、1997(平成9)年に90歳で亡くなるまで、世界的に知られる版画家として国内外で数々の作品を発表した。柔らかな曲線とシャープな直線とを自在に組み合わせて構築されたシンプルな構図は、対象となるものの特徴を的確にとらえ、いまも多くの人を魅了し続けている。
本展覧会では、戦後から晩年まで、およそ半世紀におよぶ斎藤清の作品群のなかから版画作品89点を厳選し、9つの章で展示。また、創刊号から担当したNHK『きょうの料理』のテキスト表紙絵もあわせて紹介し、斎藤作品の造形の魅力に迫る。