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シュルレアリスム

Surrealism

 フランスの詩人アンドレ・ブルトンが、『シュルレアリスム宣言/溶ける魚』(1924年)において、理性や道徳による統制を外れた思考の書きとりの実践と定義した芸術運動。両大戦間の芸術運動としては最大規模を誇り、世界各地にその影響を及ぼした。当初は文学における思考やイメージのふいの到来という自動性(オートマティスム)を重視したシュルレアリストの実践は、次第にその領域を絵画や映画、写真、そしてオブジェへと拡張していく。視覚的なイメージを言語との類比によってとらえるマックス・エルンストやルネ・マグリット、キュビスムの徹底した刷新を目論むジュアン・ミロやアンドレ・マッソン、偏執狂的・批評的方法や象徴機能を持つオブジェといった現実解釈の新たな手段を見出したサルバドール・ダリなど、この運動にかかわった美術家たちの出自や表現の外見は、特定の技法や思想に収斂することなくじつに多様である。

 40年、ドイツ軍の侵攻を受けフランスを逃れたシュルレアリストは、亡命先のアメリカで若い世代の画家たちを刺激し、のちの抽象表現主義の誕生を後押しする。戦後パリに戻ったブルトンらの周辺には、その活動を再評価する複数の若いシュルレアリスム・グループが発生したが、66年にブルトンが没し、69年、ジャン・シュステルによってグループの消滅が宣言された。

 活動の全期間を通じて、美術作品を含む視覚的なイメージを効果的に用いた機関誌を数多く発行したシュルレアリスムは、ベルギー、チェコスロヴァキア、スイス、イギリスなどの欧州諸国から日本に至るまで、国外へも容易に伝播した。日本では、瀧口修造によるブルトンの著作の邦訳やダリ、ミロの紹介、福沢一郎によるエルンストの紹介を通じて、絵画や写真の領域に大きな影響を及ぼしたが、41年に共産主義との関係を疑われた瀧口、福沢が検挙され、前衛美術運動としての体裁を失った。

文=副田一穂

参考文献
ジャクリーヌ・シェニウー=ジャンドロン『シュルレアリスム』(星埜守之・鈴木雅雄訳、人文書院、1997)
鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、2007)
齊藤哲也『零度のシュルレアリスム』(水声社、2011)
大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド:シュルレアリスムと日本の絵画1938-1953』(国書刊行会、2016)