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ネオ・ジオ
Neo-Geo
1986年に出現した、主に幾何形体とテクノロジカルなイメージが特徴のスタイル。84年にアートフォーラム誌に掲載されたピーター・ハリーの論文『幾何学における危機』(1984)は、「ネオ・ジオ」という名称の出現以前のものだが、この表現の代表的な思考が認められる。60年代以降のミニマリズムにあった色面、形体、パターンでは、ミニマルに削ぎ落とした幾何学的造形要素そのものに意味を求めたのに対して、ハリーは幾何学的要素を社会のメタファーとしてとらえた。フランスの思想家ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』(1975)での産業社会の幾何学的秩序の理解、ジャン・ボードリヤールのシミュラクルについての考察などを汲み取ったものだ。そして「ネオ・ジオ」と呼ばれる作品には、産業主義や消費主義への批判、テクノロジーへの期待と不信といったポストモダニズム的な思考が見られる。
86年にニューヨークのソナバンド画廊で開催された、ハリー、アシュリー・ビッカートン、ジェフ・クーンズ、メイヤー・バイスマンらによる展覧会で「ネオ・ジオ」という言葉が使われ、ハリーの電子回路のような幾何形体、クーンズの既成品を使用した立体作品などが「ネオ・ジオ」の代表と考えられる。ただし、これらのアーティストたちが「ネオ・ジオ」という名称に賛同していたわけでなく、ハリーは、ネーミングが商業主義的であると考え、むしろ「シミュレーショニズム」であることを主張した(ハリーは「ネオ・コンセプチュアリズム」の主要作家とも考えられている)。
80年代のアートは、もともと様々な呼称や定義が相互に入り乱れ、87年のニューヨーク・タイムズ紙での記事『アートの最新動向をどう呼ぶ、「ネオ・ジオ」・・たぶん』にも見られるように、運動のような定まった構造があるわけではなかった。「ネオ・ジオ」という傾向は89年頃に消滅したが、アーティストたちはそれぞれ独自に制作活動を続けている。
86年にニューヨークのソナバンド画廊で開催された、ハリー、アシュリー・ビッカートン、ジェフ・クーンズ、メイヤー・バイスマンらによる展覧会で「ネオ・ジオ」という言葉が使われ、ハリーの電子回路のような幾何形体、クーンズの既成品を使用した立体作品などが「ネオ・ジオ」の代表と考えられる。ただし、これらのアーティストたちが「ネオ・ジオ」という名称に賛同していたわけでなく、ハリーは、ネーミングが商業主義的であると考え、むしろ「シミュレーショニズム」であることを主張した(ハリーは「ネオ・コンセプチュアリズム」の主要作家とも考えられている)。
80年代のアートは、もともと様々な呼称や定義が相互に入り乱れ、87年のニューヨーク・タイムズ紙での記事『アートの最新動向をどう呼ぶ、「ネオ・ジオ」・・たぶん』にも見られるように、運動のような定まった構造があるわけではなかった。「ネオ・ジオ」という傾向は89年頃に消滅したが、アーティストたちはそれぞれ独自に制作活動を続けている。
参考文献
『ピーター・ハリー:社会を解読する絵画 1981-1997』(北九州市立美術館、1998)
ピーター・ハリー「The Crisis in Geometry」(『Arts Magazine Vol.58 No.10』、Art Digest Inc.、1984)
グレース・グリュック「WHAT DO YOU CALL ART'S NEWEST TREND: 'NEO-GEO'... MAYBE」(The New York Times、1987)
https://www.nytimes.com/1987/07/06/arts/what-do-you-call-art-s-newest-trend-neo-geo-maybe.html