ART WIKI

モノクローム/アクローム

Monochrome / Achrome

単一の色彩で覆われた絵画を総称してモノクローム絵画と呼ぶ。20世紀美術におけるモノクローム絵画の先駆例としては、シュプレマティスムの主導者カジミール・マレーヴィチによる《黒の正方形》(1915)や、ロシア構成主義の画家アレクサンドル・ロトチェンコによる《なめらかな色》(1921)が有名である。「形態のゼロ」を出発点とするマレーヴィチの非対象絵画は幾何学抽象の流れを生み出し、第二次世界大戦後に本格化するモノクローム絵画の探求の礎を成した。戦後の早い例としては、51年にロバート・ラウシェンバーグが白一色による《ホワイト・ペインティング》を発表している。

 その後、1960年代にモダニズムの理論を極北にまで押し進めたミニマリズムが台頭すると、フランク・ステラ、アド・ラインハートらが単色の塗りによる絵画作品を発表した。いっぽう、ヨーロッパでモノクロームの革新的作品を生み出したのはヌーヴォー・レアリスムの旗手イヴ・クラインである。57年、クラインは自ら開発した青色顔料を「インターナショナル・クライン・ブルー」と名付けて特許を取得し、この顔料を用いた青一色のモノクローム作品によって絵画の脱物質化、観念化を試みた。同年、イタリアのミラノを拠点に活動していたピエロ・マンゾーニは、カオリン、ポリスチロール、綿、グラスファイバーなど様々な素材を用いた「アクローム(非色)」シリーズを展開する。

 美術史上ではマンゾーニがクラインの影響下にあったことがしばしば指摘されているが、両者の思想的背景がまったく異なっていることには注意が必要である。神秘主義、錬金術、神智学に関心を持ち自身を超越することを目指したクラインのモノクローム絵画に対し、白一色の絵画によって色彩を拒否したマンゾーニの「アクローム」はアイロニカルな態度に基づいており、純粋視覚主義や精神性の探求から距離を置き、あらゆるメタファー、物語性を排するものであった。

 戦後のモノクローム絵画の動向を総括した展覧会としては、1960年に美術史家のウード・クルターマンが企画した「モノクローム絵画展」(レーヴァークーゼン市立美術館、ドイツ)が挙げられる。

文=中島水緒

参考文献:
『イブ・クライン展』(高輪美術館[ほか]編、高輪美術館、1985)
Manzoni, Germano Celant, Milano, Skira, 2009