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民藝運動

The Mingei Movement

 柳宗悦が主導した文化・造形運動でありその思想。「民衆的工藝」のこと。「民藝」という語は、大正14年、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎、柳の三名が、彼らの蒐集品を総称するためにつくりだしたものである。狭義には、無名の工人がつくりだし、民衆が生活のなかで用いた器物のことを意味する。また、広く民藝運動と言うとき、柳らによる蒐集や出版活動、日本民藝館の設立(1936)と運営、さらに民藝運動に共鳴した陶芸家や工芸作家たちによる生産活動などを含むものと考えることもできる。民藝の「発見」以前の柳は「白樺」同人としてポスト印象派の紹介やウィリアム・ブレイクの研究を行なっていた。

 転機となったのは大正3(1914)年のことである。朝鮮で小学校教師をしながら彫刻家を目指していた浅川伯教が、柳の家にあるロダンの作品を見に訪れた際、「李朝染付秋草文面取壺」を柳への手土産として携えていた。柳はその李朝の小壺を見て感激し、李朝工藝の美に目覚め、浅川伯教・巧兄弟とともに積極的な蒐集と紹介を行うことになった。柳は、従来珍重されてきた中国の影響の強い高麗の陶磁器ではなく、李朝の陶磁器の簡素でおおらかな美に民族の固有性と独立性を認めた。さらに柳は、李朝の工藝品だけではなく、沖縄やアイヌ、丹波の布やイギリスのウィンザーチェアやスリップウェアなどに民衆の美を認めていく。柳は近代の個人主義的芸術観に対置するように、「無心」「健康の美」「不完全の美」「げてもの」「用の美」「手仕事」などの用語を駆使し、民衆が生み出し使用した工藝に、美のみならず、深い精神性や宗教的真理を見出していった。

文=沢山遼