ART WIKI

超芸術トマソン

thomason

 雑誌『写真時代』における赤瀬川原平の連載を機に広く知られるところとなった概念。トマソンとは、主に都市空間に見られる、不動産と一体化しつつ「無用の長物的物件」となった建築物の一部のことを指す。トマソンの語源は、元プロ野球選手で、読売ジャイアンツに所属したゲーリー・トマソンに由来する。赤瀬川は、美しく保存された無用の長物であるそれら建築物の断片を、四番打者として存在感を誇示しながらチームに貢献することなく終わったゲーリー・トマソンの姿になぞらえた。赤瀬川は『写真時代』を通じて読者から各地の「トマソン」を募り、集団的なアーカイヴとして蓄積した。トマソンは主に写真によって記録され、そこには「物件」という単位が与えられた。

 1972年に、赤瀬川、南伸坊、松田哲夫が東京・四谷を歩いている際に、昇り降りすること以外の機能を持たない「四谷の純粋階段」が「発見」され、トマソン1号となった。その後「江古田の無用窓」「お茶の水の無用門」などが発見されていく。また、隣家の消滅によりそのシルエットが壁に残されたものを「原爆タイプ」と呼ぶなど、彼らはトマソンにさまざまな「タイプ」を与え分類した。トマソンには、いくつかの文化史的起源を与えることができる。まず、トマソンがもともと芸術としてつくられたものではない既存の物体であったという点において、マルセル・デュシャンのレディメイド。そして、赤瀬川らが、60年代に制作していたいわゆる「反芸術」的傾向のオブジェが、高度経済成長期にそこから脱落した廃材やゴミを使用していたことも「無用の長物」であるトマソンと関係しているだろう。

 さらに、トマソンの探索が都市のフィールドワークを伴うという点においては、今和次郎の「考現学」との関連性も強い。加えて、小型カメラを使い「路上」を探索するという点では同時代の日本のスナップ写真とも連動している。都市を独特のユーモラスな視点によって再発見していくトマソン探索の行為は、社会的にも大きな反響を呼んだ。その成果は、のちに赤瀬川の手により『超芸術トマソン』として書籍化され、その後の「路上観察学会」へと発展していく。

文=沢山遼

参考文献
『超芸術トマソン』(赤瀬川原平著、筑摩書房[ちくま文庫]、1987)