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ファウンド・フォト

Found Photo

 ファウンド・フォトと呼ばれる写真の多くは、そもそも撮影者が誰であるのか知られていないものが多い。それにもかかわらず、そうした写真に「作者」の存在が見出されようとするとき、その役割を叙述する過程において「ファウンド」という言葉が呼び起こされる。こうした写真の多くは、フリーマーケットや蚤の市などで見つけられたものが大勢を占めるが、それゆえに写真の発見者と撮影者とのあいだで写真の「読み方」をめぐった相違が生まれることがある。その読解の差に「発見」という言葉が挟み込まれ、「ファウンド・フォト」が誕生することになるのだ。このとき、写真の発見者と撮影者の関係は非対称的であり、具体的には、しばしばプロとアマの関係にそれが置き換えられることがある。

 「ファウンド・フォト」として流通している写真の多くはいわゆる(「芸術家」に対する)「素人」が撮った写真であるからだ。したがって、そこには収奪の論理が働くことになる。しかし、そのことが批判的に言及されることは少ない。なぜなら、芸術家によって積極的にこの手法が選び取られる際、しばしばそこには救済的な態度が付随することになるからだ。このとき「救済」されるのは、歴史的・情報的に「弱い存在」が対象となることが多く、たとえば「ファウンド・フォト」よって忘却された歴史やそれまで可視化されなかった営みが改めて浮かび上がるという試みがこれまで多く行われてきた。しかし、先述したようにそこでは領土拡張的な収奪の論理が働きがちであるということにも注意する必要がある。

文=原田裕規