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日常性への下降

Descent to the everyday

 宮川淳が評論「反芸術 その日常性への下降」(『美術手帖』1964年4月号)において行った主張。1964年1月30日に東野芳明の司会による公開討論会「〝反芸術〟是か非か」を受けて、宮川は「反芸術」がイメージとして成立し、エコールやイズムを超えて芸術のひとつの状況となっていると報告した。その上で宮川は「反芸術」という言葉から一般化されたイメージである「ヒステリックな反抗」(東野)と明確に区別するために、「芸術」に対する否定的側面をもつ「反芸術」に様式的な具体性を与える必要性があるとし、それを「日常性への下降」と規定したのである。

 「反芸術」の真にアクチュアルな可能性とは、自己表現の手段に短絡し、無償の激情と化した「反」芸術的傾向ではなく、「マチエールとジェストとのディアレクティクにまで還元されることによって、表現過程が自立し、その自己目的化にこそ作家の唯一のアンガージュマンが賭けられるべき」点にある。そのディアレクティクは、アクション・ペインティングによる絵画の純粋な行為への還元、ロバート・ラウシェンバーグによる雑多な日常の物体の発見、そしてジャスパー・ジョーンズによる旗や標的などの日常的なイメージや主題の導入、さらには表現過程を事物性へ、事物の行為へと還元し、近代芸術の神話である「レアリテ」の否定へとたどり着く。ポップ・アートによる日常性の氾濫は、この「レアリテ」の崩壊とともにある。

 宮川は「日常性への下降は芸術と非芸術との境界の最終的な無化にほかならない」としながら、「それは、芸術と非芸術との決定的な交流であるとともに、それにもかかわらずいよいよ鋭くなる芸術と非芸術との間の断絶なのだ」と書く。「日常性への下降」とは、芸術を芸術たらしめる基準が存在しない状況に至って、芸術とは何かと逆行するのではなく、「不在の芸術はいかにして存在可能かという不可能な問い」へと向かうものであった。

文=中尾拓哉

参考文献
宮川淳「反芸術 その日常性への下降」(『美術手帖』美術出版社、1964年4月号)