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作者の死
The Death of the Author
ロラン・バルトは論文「作者の死」(1967)のなかで、作者、すなわち近代に誕生した「人格」「経歴」「趣味」「情熱」などによって作品を創造する主体が死を迎える=非人格化されることでエクリチュールが始まるとした。
作品は作者=人格に支配されたものではないとされ、ステファヌ・マラルメが言語活動の所有者を、言語活動そのものへと置き換えたように、「書く」こととは作者が言葉を語るのではなく、言葉自体が語るものであると論じられた。現代における作者は、作品に先行し、起源とされる者から、いま、ここで、テクストのさまざまな結びつき、混ざり合い、対立を記す「書き手」となる。そうして書かれるテクストとは、無数にある文化の中心からやって来る引用の織物であり、ゆえにエクリチュールは作者の意図を解読するためのものではなく、多元的に対話を行い、パロディ化し、異議を唱え合うものとなるのである。
こうしたテクスト論におけるエクリチュールの本当の場とは、それを構成するあらゆる引用が一つも失われずに記入される空間、すなわち書かれたものすべてを読もうとする「読者」なのであり、「作者の死」とは多様な読み方で解釈をする「読者の誕生」への移行によってもたらされる。
作品は作者=人格に支配されたものではないとされ、ステファヌ・マラルメが言語活動の所有者を、言語活動そのものへと置き換えたように、「書く」こととは作者が言葉を語るのではなく、言葉自体が語るものであると論じられた。現代における作者は、作品に先行し、起源とされる者から、いま、ここで、テクストのさまざまな結びつき、混ざり合い、対立を記す「書き手」となる。そうして書かれるテクストとは、無数にある文化の中心からやって来る引用の織物であり、ゆえにエクリチュールは作者の意図を解読するためのものではなく、多元的に対話を行い、パロディ化し、異議を唱え合うものとなるのである。
こうしたテクスト論におけるエクリチュールの本当の場とは、それを構成するあらゆる引用が一つも失われずに記入される空間、すなわち書かれたものすべてを読もうとする「読者」なのであり、「作者の死」とは多様な読み方で解釈をする「読者の誕生」への移行によってもたらされる。
参考文献
ロラン・バルト「作者の死」(『物語の構造分析』花輪光訳、みすず書房、1979)