バイオ・アート
Bio Art
バイオ・アートをめぐって、現在は次のような状況がある。
1. 動植物の「品種改良」のような人類史的な営みや、遺伝子工学の発達によってもたらされたクローン技術、DNA解析の成果など、人間や生物に関する新しい発見や将来予想。
2. 気候変動、環境破壊、遺伝子操作などによって、人類が生物、生態系に大きな影響を与えていることへの実感や懸念。地質学的概念の「人新世(Anthropocene)」にも共通。
3. バイオ・テクノロジーを学習、実験する「バイオ・ラボ」などの施設が草の根的に世界各地で組織され、「DIYバイオ」「バイオ・ハッキング」などボトムアップの取り組みが盛んになる。アーティストもバイオ・ラボで学び活動を始める。
4. 美術・デザイン教育として先進的なアート・デザイン・スクールでカリキュラムに採用され、バイオ・セーフティ・レベルに見合った研究施設が設置されている。
まずバイオ・アート前史に取り上げられるのは、1928年にペニシリンを発見した細菌学者アレクサンダー・フレミングだ。フレミングは、アーティストとの交流も深く、色素を出す細菌コロニーを培養して絵具のように使って絵を描く「ジャーム・ペインティング」を始めた。これは現在のバイオ・アートの表現のひとつとなっているペトリ皿で細菌を培養して描く「ペトリディッシュ・アート」の先駆けである。
36年にニューヨーク近代美術館が展覧会「エドワード・スタイケンのデルフィニウム」を開催し、品種改良されたデルフィニウムの花を1週間展示した。高名な写真家、画家、キュレーターだったスタイケンは、デルフィニウムの品種改良で知られる園芸家でもあった。このスタイケンに触発されてのちにアイリスの品種改良で70年代末から作品を発表したジョージ・ゲサート(George Gessert)がいる。
86年、ジョー・デイヴィスは遺伝学者と共同で、生命と女性性を表すシンボルを実験に使われる大腸菌にエンコードした。《マイクロヴィーナス(Microvenus)》と名付けられたこの作品は、分子生物学のツールと技術を使用した最初のアート作品である。またデイヴィスは、「DIYバイオ」の提唱者として知られる。以後、バイオ・アートは、科学的手法や技術を応用して、芸術的題材としての生命システムを探求する現代美術の一形態となっている。
バイオ・アート最初期の展覧会のひとつとして、アーティスト、理論家であるスザンヌ・アンカーが、94年に遺伝学と視覚芸術をテーマとした「Gene Culture: Molecular Metaphor in Visual Art」展をニューヨークで開催している。エデュアルド・カッツ(Eduardo Kac)の《GFP Bunny》は、遺伝子操作技術を用いて緑色蛍光タンパク質(GFP)を組み込んだ、蛍光色に光るウサギを97年にアート作品として発表したものである。遺伝子操作技術を用いて生物を扱うことで論争を含む大きな反響をもたらした。また「バイオ・アート」という名称は同年にサンパウロで行ったパフォーマンス《Time Capsule》の際にカッツが造語して使用したと言われている。
2000年には、作品《Victimless Leather》で知られるアーティストのオロン・カッツ(Oron Catts)と生物学の研究者たちによって西オーストラリア大学に、アーティスト、デザイナーが使えるバイオ研究ラボ「SymbioticA」が創設された。従来は科学者やエンジニアだけが使えるバイオ・テクノロジー研究を、アーティストやデザイナーが関われるようにした組織であり、芸術系大学・学部でのバイオ・アート、バイオ・デザインの最初のプログラムである。
バイオ・アートの周囲で起こりうる問題として、アーティスト・グループ「Critical Art Ensemble」メンバーのスティーブ・カーツ(Steve Kurtz)と妻のホープ・カーツ(Hope Kurtz)の事例がある。04年、2人がマサチューセッツ現代美術館で遺伝子組み換え農業に関する展示を行っている時期に妻が突然死した。検死の際、自宅に小規模実験室と実験器具があるのを見た地元警察がFBIに報告。カーツは「バイオテロ」の嫌疑で一週間拘束され、完全装備の専門班が家宅捜索に入り証拠不十分のまま裁判となったが、結果、妻は自然死と判断された。カーツは国際的なアーティストらの支援を受け、ドキュメンタリー映画もつくられた。
16年より毎年、先進的な芸術・デザイン系の大学、高校が参加する国際的なバイオ・デザインの教育プログラムとコンペからなる「Biodesign Challenge」が開催されるようになり、大学を中心に美術館なども協力し参加校数、規模が拡大している。
バイオ・アートはバイオ・テクノロジーとの関係が中心になりがちだが、生物、生態系、自然に対する親和的なアプローチや、未来の生物や人間の可能性、ジェンダーを思弁的に考察したり、発酵など生物と人間の歴史的な営為に注目したりするもの、実験装置の中で菌類などを繁殖させて作品化したものなど、幅広い表現を見せている。
参考文献
ウィリアム・マイヤー『Bio Design: Nature・Science・Creativity』(Thames & Hudson、2018)
ウィリアム・マイヤー『バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか』(久保田晃弘監修、岩井木綿子翻訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2016)
ウィリアム・マイヤー『Bio Art: Altered Realities』(Thames & Hudson、2015)
『Signs of Life: Bio Art and Beyond』(エデュアルド・カッツ編集、MIT press、2006)
スザンヌ・アンカー「Gene Culture: Molecular Metaphor in Visual Art」『Leonardo Volume 33、Issue 5』(MIT press、2000)
「Edward Steichen Archive: Delphiniums Blue(and White and Pink, Too)」
https://www.moma.org/explore/inside_out/2011/03/08/edward-steichen-archive-delphiniums-blue-and-white-and-pink-too
「Biodesign Challenge」ウェブサイト
https://biodesignchallenge.org