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エル・グレコ

El Greco

 エル・グレコは1541年生まれ。現ギリシャ・クレタ島出身。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、エル・グレコは「ギリシャの人」を意味する通称。ギリシャ正教のイコンを描く画家として活動したのち、イタリアに渡って2つの都市を拠点とした。最初のヴェネチアは油絵を習得する修業時代にあたり、とくにティツィアーノ、ティントレットやヤコポ・バッサーノから影響を受ける。次のローマ時代にはミケランジェロの人体表現や、パトロンとなった枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼのコレクションに学ぶ機会を得た。またこの頃に描いた、古典ギリシャの絵画が題材の《ろうそくに火を灯す少年》(1570頃)のように、周囲の人文主義者からも影響を受けていたことがわかる。しかしファルネーゼから解雇されたグレコは、新天地を求めてスペインへ渡る。

 76年、グレコはトリエント公会議に参加するためにローマを訪れた聖職者のつてで、トレドを拠点に定めた。最初の大仕事のひとつとなったのはトレド大聖堂の聖具室を飾る祭壇画《聖衣剥奪》だった。当時の統治者フェリペ2世に名が知れると、かたくなな信仰心を主題とした《聖マウリティウスの殉教》の注文を受ける。本作を完成させるも、フェリペ2世の意向に沿わなかったために却下され、別の画家が採用されるに至った。宮廷画家の道を断たれたグレコだが、のちのち、大がかりな作品の依頼を受けることとなる。円熟期を代表する作品のひとつに《オルガス伯の埋葬》(1586)があり、作品上部は天界を描写し幻想的に、いっぽう下部の埋葬の様子は写実的に描き分け、画家の名声を確かなものにした。またグレコは教養人として知られ、豊富な蔵書を誇っていたことでも知られ、晩年には古代神話を主題とした作品を残している。トレドの名画家として存命中評価されるも、ゆがみ、引き伸ばされた人体や独特の色遣いなどから奇抜とされ、1614年の没後、その作品が再び受け入れられるのは19世紀になってからのことであり、パブロ・ピカソやポール・セザンヌ、印象派の画家たちに影響を与えている。