ARTISTS

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa

 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックはフランスの画家、版画家。1864年、南仏でもっとも古い貴族の家系出身。体が弱く、幼少期に脚を2度骨折したことが原因で、身長150センチほどで成長が止まる。17歳のとき、画家になることを決心し、動物画家ルネ・プランストーに師事。師の作品を模写しつつ、馬や騎馬の様子を好んで主題に描く。82年、プランストーの紹介で、肖像画家として名が知れていたレオン・ボナの画塾に入門し、古典技法を学ぶ。ボナが国立美術学校の教師に任命されたため画塾が閉鎖すると、次は新たに開設されたフェルナン・コルモンの画塾に在籍。新しい動向に寛容なコルモンのもとには、エミール・ベルナールやフィンセント・ファン・ゴッホらが集う。84年、画塾の数名とともに《ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの「聖なる森」のパロディ》を制作。象徴的な画風が賞賛を浴びたピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの作品《芸術と美神たちが崇める聖なる森》を、皮肉を込めて模写し、旧態然としたアカデミーと決別する。74年に「第1回印象派展」が開催されるなど、パリで新しい美術動向の機運が高まるなか、貴族と下層の人々が集うモンマルトルに興味を抱き、同地を活動の拠点にする。

 89年、モンマルトルにダンスホール「ムーラン・ルージュ」をオープン。支配人から制作を依頼されたポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》(1891)で一躍人気画家となる。モンマルトルのスターを素早いデッサンと大胆な構図で描いた《ムーラン・ルージュ》(1890)、人物を醜くデフォルメすることで、都市に生きる人々の内面を表現した《ムーラン・ルージュにて》(1892 / 95)、浮世絵の影響を受けた《ディヴァン・ジャポネ》(1893)などの代表作を生み出す。いっぽう、娼婦たちの日常を題材とした作品を版画集『彼女たち』(1896)にまとめて出版。娼館で女性たちと生活をともにしながら、観察者としてではなく、障害を持つ自身もその一員であるかのような共感のまなざしを向ける。ベルギーやロンドンの展覧会に出品するほか、ナビ派のモーリス・ドニやエドゥアール・ヴュイヤールらと交流し、共同で展覧会を開催。ポスターだけでなく、出版社から作品掲載の依頼も舞い込み、人気画家の地位を不動のものとする。晩年は、モンマルトルでの奔放な生活が招いたアルコール依存症に苦しみ、1901年に37歳で逝去。友人たちの協力によって没後すぐに回顧展が開催。22年にはトゥールーズ=ロートレック美術館が開館し、ポスター作家にとどまらない芸術家としての活動が紹介される。日本では、三菱一号館美術館の「モーリス・ジョワイヤン コレクション」に、ロートレックのリトグラフ・ポスター250点以上が収蔵されている。