インターネット・アートを代表するアーティスト、ラファエル・ローゼンダール。活動の場をNFTに移し、アナログとデジタルを行き来しながらもデジタル表現の第一線で制作を続ける作家は、NFTの現況をどのように見ているのか? NFTをどう活用しているのか? Adam byGMOがお送りする、スペシャル・インタビュー。(PR)
1990年代の終盤からインターネット・アートの制作・販売を開始し、その分野を牽引してきたラファエル・ローゼンダール。NFTアート登場後は、フィールドをNFTに完全に移行し、自身の作品のみを販売するプラットフォームを立ち上げるなど、独自の手法で制作活動を展開している。「もうNFTからインターネット・アートに戻ることはない」と語るローゼンダールに、NFTとの関わり方やアナログへの展開について話を聞いた。
──2020年から21年にかけて、NFTアートが大注目を浴びていました。現在NFTアートは、どのような状況にあるのでしょうか?
約2年前の常軌を逸したNFTブームは、iPhoneアプリの登場初期によく似ていました。iPhoneアプリが登場し始めた頃は、ちょっとふざけたアプリが飛ぶように売れ、短期で一攫千金が可能でした。いまはそうしたものは廃れ、真剣につくられたしっかりしたアプリが大半です。NFTアートも同様の遷移をしています。
クリプトブームは、楽して大儲けしたい人たちが牽引していました。結果として、彼らがいてくれたおかげで数年間安心して暮らせる基盤ができたので感謝しています。現在はそうした人々はNFTから去り、残留したのは本当にアートに興味がある人たちばかりになりました。
この浮き沈みを売れ行きの度合いで表現すると、NFT以前を10とするなら、NFTブーム時が1000、今は100という感じです。絶頂期からは大分下がりましたが、NFTを始める前よりは増えています。高額取引が飛び交っていたピーク時は狂乱そのもので、恐怖さえ覚えました。正直、いまぐらい落ち着いているほうが安心します。
──インターネット・アートからNFTアートに移行したきっかけを教えてください。
そもそもの話をすると、アーティストとして活動を始めた当初はステッカーやZINEをつくっていたのですが、これらは制作コストが嵩みます。そこでインターネットを媒体にすることを思いつきました。HTMLやJavaScriptなどのコードでインタラクティブなWebページをつくり、そのページそのものを作品としてインターネット上で公開するのです。そうすれば、制作コストの心配もなければ展示・販売する場所も必要ないですし、誰にでも見てもらえます。そうした理由で1999年からインターネット・アートの制作を開始しました。
友人のマルチメディア作家、ミルトス・マネタスが、インターネット・アートはドメインネームがあれば販売可能だと教えてくれるまで、売ることは考えていませんでした。販売を決めたときは、誰でも作品が見られる状態をキープするため、ドメインの永久維持を購入条件に含めました。弁護士と一緒に契約書をつくったり、ドメインをオランダの機構を介し一元管理できるようにしたりと、手続きの整備や簡略化を行ってきましたが、コレクターにとって、ドメイン維持が煩雑であるのには変わりありませんでした。
NFTアートについては、初めはあまりにも難解だと思って敬遠していたのですが、NFTプラットフォームの「ファンデーション」で働いていた友人に勧められ、試しにやってみたら、びっくりするぐらい売れたのです。とうとうデジタル作品が、管理・販売の技術とプラットフォームを獲得し、人々に受け入れられるようになったのだと実感しました。それまで約20年やってきたことは、NFTという名前こそなかったものの、NFTと同じだったのです。
鑑賞という面では、キーワードで検索すれば作品であるページ本体にすぐアクセス可能なインターネット・アートのほうが簡単です。しかし販売の面ではとても面倒で、ドメインだけでなく、証明書やファイルの受け渡しもアレンジしなくてはなりませんでした。NFTアートはその逆で、作品イメージに辿り着くまで数クリック余計に必要なため、鑑賞のハードルはインターネット・アートより若干高くなりますが、所有権譲渡やアクセシビリティは、テクノロジーに織り込み済みなので心配いりません。ですから、もうNFTからインターネットに戻ることは考えられません。
──2021年のブーム期といまを比べたとき、自身の制作において何か変化はありましたか?
当時は、先ほど話した「ファンデーション」というマーケットプレイスで、一点ものの作品を中心に販売していました。ブームが去って落ち着き、ようやく自分のやりたいことが実現できるようになりました。
いちばん大きな変化は、独自のプラットフォームを立ち上げたことです。画面の見た目などユーザーエクスペリエンス全般をコントロールできるようになりました。アーティストとしての自由度、満足度が上がりましたし、たとえ売れなくても誰からもとやかく言われません。そしてアルゴリズムを使ってイメージを何パターンもつくり出すのが好きなので、エディション作品にシフトしました。
いまは2週間ごとに、新しいシリーズを販売しています。最新作は、リリース後48秒で完売しました。値段設定をあえて低くしているのがその要因です。値段を釣り上げて、売れるまで何年も待つのもひとつの手ですが、発表したらすぐ売れていくという、テンポのいいサイクルのほうが自分には合っているのです。
とはいえ、自分のプラットフォームをつくる過程ではとても苦労しました。必要な技術やテンプレートはすべて揃っていたにもかかわらず、システム構築は非常に難易度が高かったです。NFTでは、誰でも簡単にアート制作と販売ができることが約束されていますが、それはNFTのマーケットプレイスを利用すれば、の話です。自分ですべてをコントロールしようとすると、これほどまでハードルが高くなるものなのかと、少し悲しくなってしまいました。
ブロックチェーンは難し過ぎて、賢い人々にしか使いこなせません。IQテストのようだからこそ価値があるのでしょう。オタク限定のサークルのようで、独特のエネルギーが満ちています。しかも、とても変化のスピードが速く、新しいアイデアや技術が出てきたと聞いて調べてみると、すでに不発に終わっていたということがよくあります。ブロックチェーンの将来はわかりませんし、あまり興味もありません。とにかく、2週間後にリリースする作品に、ただ集中するようにしています。いまできることをなおざりにして、未来に期待を寄せることはできないからです。
──最近の作品やプロジェクトについて教えてください。
パンデミック中に、友人からドローイングをまとめた本をつくってみることを勧められ、『Home Alone』(2020)という本を出版しました。イタリアにあるプリントメーカーとともにつくった、スクリーンプリントのアート本で、24部限定で販売しました。この作品をきっかけに、ペインティングへの興味が深まり、新しくこのスタジオを借りることにしました。いまは、画家の友人に調合してもらった絵具を様々なブラシで試してみて、色味やテクスチャーを研究している段階です。
デジタル作品に関する作業は、朝早く起きて午前11時までに自宅で済ませます。そのあとスタジオでドローイングやペインティングに取り組みます。ここにはパソコンなどの機械は置きません。パソコンはあくまで制作の道具であって、アイデアの源泉ではありません。そばにあると気が散ってしまうのです。
いまはデジタル作品の販売で生計が立てられているおかげで、アナログ作品に挑戦することができています。物理的な作品で知られるようになった後で、デジタル作品に着手する作家が多いですが、僕はその逆ですね。
以前は、スタジオ不要でどこでも作業ができるインターネットがいちばんの媒体だと思っていました。でも時が経つにつれ、いろんな媒体に興味が広がるようになりました。
──大手ソーシャルメディアでは、見解や意見の違いなどが、攻撃や炎上に発展するケースが顕著になってきているように感じるのですが、ブロックチェーンのような分散型のインターネット(Web 3.0)は、この状況への打開策になるのでしょうか?
ソーシャルメディアの現状については考えないように努めています。Web3.0が広まったところで何も改善はしないでしょう。
以前、オランダには「4つの柱」というシステムがあって、宗教、階級、支持政党といった思想・信条の違いによって、社会が4つの大きなグループに分かれていました。新聞や学校、教会、労働組合、行きつけのパブなど、ありとあらゆるものがこのグループごとに棲み分けされているのが当然だったのです。これが良かったのか悪かったのかは判断できませんが、少なくとも、このシステムのもとで誰かがパニックになることはなかったと思います。
いまはソーシャルメディア上で、考えの対立が、「恐怖」の連鎖を引き起こす構造になっています。以前はマーケティングの手法として、車を売るなら若くてきれいな女性を隣に立たせるというように、「セックス」のイメージが活用されてきました。ところがいつしか「恐れ」や「怒り」といった感情を刺激するほうがよっぽど効果的だということに、メディアは気づいたのです。
この流れに僕は、ネガティブな作品をつくらないことで抵抗しています。そしていちばんいいのは、外に出てランニングすることです。自分をいたわって、ポジティブに過ごすのが大事だと思っています。
テクノロジー自体がこれからどうなるかに興味はありません。自分にとっていちばんやりたいことは、作品制作だからです。世界は変化し続けますし、それに伴っていろいろなものが変容します。いいときも悪いときも訪れるでしょうが、可能なかぎり自由に作品をつくり続けていきたい。それが僕の望むことです。