3DCGやピクセルアニメーション、VRなどのテクノロジーを駆使した作品で知られ、近年はNFT作品も続々と発表するたかくらかずきに、NFTとの関わりや、東洋思想を制作活動の核に据えている理由を聞いた。Adam byGMOがお送りする、スペシャル・インタビュー。(PR)
日本仏教の仏や煩悩、妖怪を再解釈し、ピクセルアートのキャラクターにしたNFTシリーズ「BUDDHA VERSE」をはじめ、デジタルとリアルの両軸で表現活動を展開するアーティスト、たかくらかずき。テレビ番組やプロモーションなど数多くのクライアントワークも手がけながら、いち早くNFTを取り入れ、現代美術の常識を打破すべく活動の幅を広げている。たかくらはNFTをどのように活用しているのか? そしてこれから先、NFTや現代美術はどのようにあるべきか? 話を聞いた。
──早い段階からNFTアートを手がけていらっしゃるたかくらさんの目には、NFTを取り巻く現状はどのように映っていますか。
僕がNFTに参入して2年ほど経ちました。面白がって取り組んでいるうち、NFTという存在が話題に上ることも増え、かなり社会に浸透してきた感じはあります。NFT全体の動きとしては、現在のところ、投機の波がいったん落ち着いた段階でしょうか。「冬の時代」到来という表現をする人もいますが、それはあくまで投機筋から眺めた場合の話。市場の動きとは関係なく、コツコツ続けている人たちはたくさんいますし、僕のスタンスもなんら変わりません。現代美術とNFTアートをつなげたいと考えながら活動しています。
──NFTをすんなり取り入れられたのは、ご自身の活動や作品との相性が良かったからと推察します。たかくらさんがアーティストとして掲げるコンセプトのひとつに、「デジタルデータの新たな価値の追求」がありますね。
もともと子供の頃からデジタルとアナログの区別なく、どちらでも絵を描いていました。大学に入学後、学部では映像を学び、東京造形大学の大学院では日本画を学びましたが、日本画の画材があまりに高額のため、卒業後はデジタルで作品をつくり始めました。
当時はデジタルで描いているというだけで、「そんなのはアートピースになりえない」「キャンバスに描かないと価値が生まれないし値もつけられない」などと言われたものでした。そんな「常識」を覆そうとする人もあまりいなくて。
誰もやらないなら、自分がそこに手をつけてみたら面白いんじゃないかと考えて、デジタルの価値をきちんと追求し始めました。その試みがいまも続いている感じですね。
2021年「SBI ART AUCTION NFT in the History of Contemporary Art」に出品したNFT作品についての解説動画
僕の取り組みがどれほど影響したかはともかくとして、ここ数年で状況はかなり変わってきました。以前はデジタル表現といえば、テクノロジーの新奇さばかりが取り沙汰され、コンセプチュアルな表現とは相容れない風潮があったと思います。このところようやく、デジタル表現も「理系的目線」だけでなく「文系的目線」でとらえられるようになってきました。「最新技術」としてのテクノロジーの進化を追いかけるデジタル表現だけではなく、デジタル表現そのものについて、もっと哲学的目線やメタ的な目線で考えてみようという動きが増えてきたように思います。
──もうひとつのコンセプトとして、「東洋思想で現代美術のルールを書き換える」を掲げていらっしゃいます。東洋思想を現代アートに取り入れていく試みは、いつ頃から?
僕が腰を据えて自分の作品をつくり始めたのは、4年ほど前からです。それまではイラストレーションや映像制作の現場で仕事をしながら美術作品もつくるスタイルでした。その「兼業」の時期に、現代美術をしっかり勉強しておこうと考えたのですが、ちょっとかじれば、いまのアートがいかに西洋中心に回っているかはすぐに痛感させられます。
西洋の価値観をインストールするとなると、キリスト教の勉強は外せない。これは大変だな……と途方に暮れた。ならば自分にとって身近な宗教から勉強したほうがわかりやすいと思い至り、仏教の勉強を優先することにしました。仏教を学べばアジア全般の思想を理解することにもつながるだろうし、仏教と仏教美術のあらましがわかれば、それをモチーフに作品もつくれると踏んだのです。村上隆さんがすでに、そうした東洋思想をベースとしたプレゼンテーションを西洋に向けてしているので、それらのアップデートとしてさらに深く掘り進めるかたちを目指しています。
やってみてすぐ気づいたのは、東洋思想や仏教というのはデジタルと相性がいいこと。洋の東西を問わずでしょうけれど、深い思想や宗教体験というのは実体のないイメージの世界を構築します。魂の存在や死後の世界、妖怪などの魑魅魍魎を創造するわけですね。それは僕から見ると、画面の向こう側でしか会えないポケットモンスターやデジタルモンスターのキャラクターと戯れるのと、近しいものがありました。そこから東洋思想や仏教とデジタルを掛け合わせた表現を模索し始めることになります。
仏様や妖怪は種類がたくさんいるところも良かった。デジタル表現ではバリエーションをつくりやすいので、そこも強調しています。西洋美術の文脈では唯一無二性のほうが重視され、キャラクターのバリエーションをつくるなんてスマートじゃないと排除される傾向にありますが、逆に僕はそこを大事にしたい。これはモダニズムとはまったく別の、密教的な曼荼羅の概念だと思っています。
──バリエーションをつくっていくというのは、NFTアートで多く見られる手法ですね。
はい。NFTでなら、いままで現代美術では避けられてきた「キャラクターを恥ずかしがらずにつくる」ことができると確信し、最初のシリーズとして仏像のNFTシリーズを制作しました。すぐに反響があって、面白いので続けていたところ、NFTの仕事である程度生活できるようになっていきました。
NFTは、買ってくれる人と直接コミュニケーションがとれて、反応もダイレクトなのが楽しくて、励みにもなります。売買にあたってあいだに入る人のマージンを作家が決められるというのは、明朗でいいものです。
ただしその分、広報活動や事務的な処理などすべて自分でしなければいけないのは、なかなか大変。マネジメントを請け負ってくれる人たちのありがたみもよくわかります。
現在、僕のNFTでの活動には、協力してくれている方々がいます。もともとファンでいてくれた方々なのですが、それぞれの得意分野を生かして、いつどんな作品を出すか、どんな事前告知をするかといったことを計画・実行してくれています。僕の作品のコレクターでもあるから、すべてにおいて熱量高く取り組んでくださる。そんなチームと仕事ができるのは僕としてもうれしいかぎりです。
──作品づくりから流通まで、すべてが身近で「自分ごと」になっていく感覚でしょうか。
はい、NFTは個別的・土着的なものだと僕は感じています。現代の資本主義経済のもとでは、放っておくとあらゆるものごとが事業化・巨大化してしまう。アートの世界でも、仲介業者や代理店のような存在が爆発的に増えて、クリエイターが搾取され飽和状態となりつつあったところに、NFTがシンプルで直接的なつながりをもたらしました。
NFTを活用することで、つくり手にとっても享受する側にとっても、つながりやすさや情報の受け取りやすさ、利便性は格段に向上します。ただし、クオリティの高いものが生まれるかどうか、それが正当に評価されるかどうかは、別問題だと思いますね。日頃NFTの市場を眺めていると、多様であることが喜ばしい反面、玉石混交というか、必ずしも質の良い作品ばかりではないことにも気づかされます。
──質を高めていく方策はあるのでしょうか。
おそらく、美術館のようなものが必要なのではと思っています。「ここにあるのは一定以上のものですよ」とお墨付きをくれるような場です。いっぽうで、美術館という制度には権威的な一面もあります。NFTの世界に企業や国などの大組織が介入し、美術館を新しくつくるとなると、大きな力によって支配され、NFTの良さが消えてしまいかねません。
ということで、いまのところいちばんいいのは、リアルの世界に現存する美術館が、NFTもある程度は収蔵するようになることじゃないでしょうか。NFTの世界はそのままにしておいて、リアルの世界のほうがNFTにもっと理解を示し、手を差し伸べるということです。
僕自身は2023年、山梨県立美術館でNFTを含むデジタル表現をテーマとした個展をさせていただきました。館内とその周辺の公園、そして仮想空間を会場とした画期的な展示となり、大変ありがたい機会でした。NFTに対してさらなる関心を美術館が持ってくれるとうれしいですね。
── 一般の人がアートを購入するうえでも、NFTはハードルを下げる役割を果たしうるでしょうか。
NFTは場所をとりませんからね。日本でアートが買われないのは、住宅事情から飾るところがないというのも理由のひとつとされます。その障壁がなくなるのは大きいです。
アートの購入やコレクションの入口として、NFTはいいものだと思います。いったんコレクションの楽しさを知ってもらえたら、そこから先の展開も見込めますし。僕のNFTを購入してくれた人が、その後、リアルの作品のほうも買ってくださったことは何度もあります。
実際のところ、NFTのファンであり、同時に古典や近代の美術も好きで、美術館によく足を運ぶという人は多いですよ。ただ、そうしたNFTファンから、「現代美術はどうもよくわからなくて」と言われることがあるのも事実。表現に興味がある人からしても、とっつきにくい感じが現代美術にはあるということです。
現代美術側は、もうすこしジャンルとして「開いていく」ことを意識したり、親しみやすい雰囲気をつくっていくことを考えるべきなのかもしれません。NFTの世界から眺めると、そんなことも浮き彫りになってくるものです。