EXHIBITIONS
電線絵画展-小林清親から山口晃まで-
練馬区立美術館は「電線絵画展-小林清親から山口晃まで-」を開催。美術作品を通して、「電線・電柱」が果たした役割を読み解く。
街を縦横無尽に走り、美的景観を損ねるものとしてとらえられてきた電線。いっぽうでその雑然感は、私たちにとっては幼い頃から慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない風景であり、ノスタルジーとともに記憶に刻み込まれていることだろう。
日本最古の電線絵画は1854(嘉永7)年、ペリーが横浜で行った電信機の実験に際して、警備を命じられた松代藩の藩士で絵師・樋畑翁輔が描いたスケッチとされている。
それから、文明開化の誇り高き象徴である電信柱を堂々と画面中央に据えた小林清親、東京が拡大していく証として電柱を描いた岸田劉生、モダン都市のシンボルとしてキャンバスに架線を走らせる小絲源太郎、電線と架線の交差に幻想を見出した「ミスター電線風景」朝井閑右衛門らが、電線や電柱のある景観を描いた。また日本古来の陶磁器産業から生まれた、電線の絶縁器具である碍子(がいし)からも、造形美を発見することができる。
本展は、小林清親による浮世絵や新しい電線風景を見せる山口晃の作品など、日本画、油彩画、版画、現代美術作品ほか約130点を展示。明治初期から現代に至るまでの「電線・電柱」が担った役割と、各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、近代都市・東京を新たな視点で見つめ直す。
街を縦横無尽に走り、美的景観を損ねるものとしてとらえられてきた電線。いっぽうでその雑然感は、私たちにとっては幼い頃から慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない風景であり、ノスタルジーとともに記憶に刻み込まれていることだろう。
日本最古の電線絵画は1854(嘉永7)年、ペリーが横浜で行った電信機の実験に際して、警備を命じられた松代藩の藩士で絵師・樋畑翁輔が描いたスケッチとされている。
それから、文明開化の誇り高き象徴である電信柱を堂々と画面中央に据えた小林清親、東京が拡大していく証として電柱を描いた岸田劉生、モダン都市のシンボルとしてキャンバスに架線を走らせる小絲源太郎、電線と架線の交差に幻想を見出した「ミスター電線風景」朝井閑右衛門らが、電線や電柱のある景観を描いた。また日本古来の陶磁器産業から生まれた、電線の絶縁器具である碍子(がいし)からも、造形美を発見することができる。
本展は、小林清親による浮世絵や新しい電線風景を見せる山口晃の作品など、日本画、油彩画、版画、現代美術作品ほか約130点を展示。明治初期から現代に至るまでの「電線・電柱」が担った役割と、各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、近代都市・東京を新たな視点で見つめ直す。