EXHIBITIONS

クルト・セリグマンと岡本太郎

2020.10.24 - 2021.01.24

クルト・セリグマン 1936-37年頃 パリのアトリエにて

クルト・セリグマン メムノンと蝶 1942 岡崎市美術博物館蔵 Artwork reproductions courtesy of The Seligmann Center of the Orange County Citizens Foundation, Chester, New York.

岡本太郎 傷ましき腕 1936(1949再制作) 川崎市岡本太郎美術館蔵

 クルト・セリグマン(1900〜62)は、岡本太郎(1911〜96)にもっとも影響を与えた芸術家。岡本はパリに滞在中の1933年、前衛芸術家の団体「アプストラクシオン・クレアシオン協会」に参加して多くの芸術家たちに出会い、そのなかでとりわけセリグマンと深く交流した。

 34年頃のセリグマンの作品と岡本の「空間」「リボン」のシリーズには、暗色の背景に抽象的ながら量感を持ったモチーフを描き出すなど、共通する部分が多く見られる。とくに両者ともに「リボン」をモチーフとした作品を生涯を通じ制作していることから、 岡本はセリグマンの影響を濃厚に受けたと言え、またセリグマンによる30年代前半の言説は、岡本が後に提唱することとなる「対極主義」 と大きな関係があると考えられている。

 35年には、セリグマンと岡本、同協会員のジェラール・ヴュリアミの3人による展覧会がパリで開催。これをきっかけに「ネオ・コンクレティスム(新具象主義)」が提唱された。また36年にセリグマンがアルレット夫人とともに東京を訪問した際、パリにいた岡本は父・一平に歓待するよう依頼し、一平の手配によってセリグマンは銀座・三越百貨店で個展を開いて、「ネオ・コンクレティスム」が日本で広く知られるきっかけとなった。

 39年、ユダヤ系であるセリグマンはドイツ・ナチスから逃れてアメリカ・ニューヨークへ移住し、40年代以降はパリ時代の芸術家仲間をニューヨークに次々と招いて、ニューヨーク派シュルレアリストの重鎮として活躍。 セリグマンの尽力により、岡本も53年にニューヨークで個展を開催した。その後、51年開催の読売アンデパンダン展(第3回日本アンデパンダン展)におけるマーク・ロスコやジャクソン・ポロックなど27名のアメリカ人芸術家の出品、また56年開催の「世界・今日の美術展」における8名16点の出品も、岡本とセリグマンの友情により実現した。

 本展はふたりの絵画や版画、プライベート映像や資料など約130点を展示し、パリでのセリグマンとの出会いから、岡本が自らの創造を方向づけしていく過程を紹介。岡本芸術の形成過程を探るとともに、両者の友情によって第二次世界大戦後の日本の美術界にもたらされた影響の意義について検証する。