EXHIBITIONS
川俣正
Early Works
北海道出身の造形家、川俣正は、東京藝術大学在学中の1970年代後半に都市空間でのサイトスペシィフィックな作品を発表して以来、40年以上にわたって既存の美術表現の枠組みを超える試みを世界各地で行っている。
アートの制作において、「プロジェクト」という言葉が日本で使われ始めた80年代、川俣はすでに準備、設置、解体までを含めたプロセス全体を作品とみなす、「ワーク・イン・プログレス」のスタイルをとっていた。川俣のプロジェクトは、模型やレリーフ、ドローイングなどのプロセスだけでなく、失業者や薬物依存患者など、社会的な問題を抱えた人たちとの協働、地域の人々との関係の構築、また関わる人々の記憶や精神のあり方をも内包し、変化しながら進行していく。
本展では、ニューヨークのP.S.1で実施された《P.S.1 Project Plan》(1984)や、ニューヨークのワールド・フィナンシャル・センターにバッテリパークシティーが建設された際にできた廃材で組み立てられたブラジルの不法占拠者住宅《Favela in Battery Park City N.Y.》(1988)のほか、ドイツ・カッセルのドクメンタ9で制作された《People’s Garden (D9) Plan #7》(1992)のレリーフなど、川俣の初期の作品群が集う。
アートの制作において、「プロジェクト」という言葉が日本で使われ始めた80年代、川俣はすでに準備、設置、解体までを含めたプロセス全体を作品とみなす、「ワーク・イン・プログレス」のスタイルをとっていた。川俣のプロジェクトは、模型やレリーフ、ドローイングなどのプロセスだけでなく、失業者や薬物依存患者など、社会的な問題を抱えた人たちとの協働、地域の人々との関係の構築、また関わる人々の記憶や精神のあり方をも内包し、変化しながら進行していく。
本展では、ニューヨークのP.S.1で実施された《P.S.1 Project Plan》(1984)や、ニューヨークのワールド・フィナンシャル・センターにバッテリパークシティーが建設された際にできた廃材で組み立てられたブラジルの不法占拠者住宅《Favela in Battery Park City N.Y.》(1988)のほか、ドイツ・カッセルのドクメンタ9で制作された《People’s Garden (D9) Plan #7》(1992)のレリーフなど、川俣の初期の作品群が集う。