EXHIBITIONS
コレクションの異境 小貫政之助展 ~ “永遠の不安” を描く~
東京・立川市にあるたましん美術館は、展覧会「コレクションの異境 小貫政之助展 ~ “永遠の不安”を描く ~」を開催している。
小貫政之助(おぬき・まさのすけ、1925〜1988)は、激動の昭和を絵筆のみで生き抜いた画家。幼い頃から絵描きを志した小貫は、1943(昭和18)年に太平洋美術学校を卒業しその一歩を踏み出すも、太平洋戦争末期に召集を受けることとなった。20歳の時に終戦を迎え、戦後の作品の、ビルの焼け跡や瓦礫、死体を思わせる描写などには時代の心情が色濃く表れている。
結婚を機に西多摩郡福生町(現・福生市)へ移住し、1952(昭和27)年、自由美術家協会展(現・自由美術展)に《女人》で初入選した小貫。その後、読売アンデパンダン展に連続出品するなど、画家としての活動を本格化させ、1953(昭和28)年には美術評論家・瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で個展を開催した。
妖美な姿態でひとりたたずむ女、魔性と母性、孤独と不安、そして生と死。生前に小貫は独自の表現様式を探求し、多様な女性像を描き続けた。その作品のなかで女性が浮かべる微笑みは、官能的でありながら、人間の心理をもうつし出している。
本展は、2017年にたましん歴史・美術館で開催した「小貫政之助-生きた時代の証言-」を機に寄贈された作品群を中心に展示。貴重な戦前の作品から戦後の大作、そして独自の女性像の確立まで、小貫の画業をたどる。
小貫政之助(おぬき・まさのすけ、1925〜1988)は、激動の昭和を絵筆のみで生き抜いた画家。幼い頃から絵描きを志した小貫は、1943(昭和18)年に太平洋美術学校を卒業しその一歩を踏み出すも、太平洋戦争末期に召集を受けることとなった。20歳の時に終戦を迎え、戦後の作品の、ビルの焼け跡や瓦礫、死体を思わせる描写などには時代の心情が色濃く表れている。
結婚を機に西多摩郡福生町(現・福生市)へ移住し、1952(昭和27)年、自由美術家協会展(現・自由美術展)に《女人》で初入選した小貫。その後、読売アンデパンダン展に連続出品するなど、画家としての活動を本格化させ、1953(昭和28)年には美術評論家・瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で個展を開催した。
妖美な姿態でひとりたたずむ女、魔性と母性、孤独と不安、そして生と死。生前に小貫は独自の表現様式を探求し、多様な女性像を描き続けた。その作品のなかで女性が浮かべる微笑みは、官能的でありながら、人間の心理をもうつし出している。
本展は、2017年にたましん歴史・美術館で開催した「小貫政之助-生きた時代の証言-」を機に寄贈された作品群を中心に展示。貴重な戦前の作品から戦後の大作、そして独自の女性像の確立まで、小貫の画業をたどる。