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ポール・シニャック

Paul Signac

 ポール・シニャックは1863年パリ生まれ。新印象派の画家。ジョルジュ・スーラ(1859〜91)が創始した「点描画法」を受け継いで後世に広めた。初めは建築家を目指していたが、のちに画家を志してほぼ独学で絵画を学び、クロード・モネに傾倒。初期の作品《アニエールの習作》(1882)などにその影響を見ることができる。84年にスーラと初めて知り合い、「第1回アンデパンダン展」に出品された《アニエールの水浴》(1883〜84)を目にすると、86年に点描画法による最初の作品《クリシーのガスタンク》を制作。キャンバスに直接小さな色点を隣り合わせて置いていく点描画法は、色の純度が下がる絵具の混色に比べてより輝きのある画面をつくることができた。色点の集まりが遠目にはかたちに見えるという、網膜上で生じる「視覚混合」を応用したこの技法をスーラとともに研究。師であり友の亡き後、その色彩理論を引き継いで実践し発展させていく。

 86年、最後の印象派展に参加。帽子を縫う労働者を描いたシニャックの出品作《婦人帽子店》や、スーラらの作品を見た美術評論家のフェリックス・フェネオンから「新印象派」を命名される。印象派の画家のなかではカミーユ・ピサロが一時、新印象派の画法を試みている。郊外の風景を好んだシニャックは、80年代後半には南仏の漁港サン=トロペに別荘を持ち、ヨットや船を楽しみながら、港や海景が題材の作品を多数制作。色彩の調和や、点描画法の厳格な手順では難しい線の表現の可能性を求めるなかで、やがて色点は大きくモザイクのようになっていき、また色同士が重なることを避けるために白い隙間を空けるなどの方法を取り入れて、装飾性のある独自の作風を確立する。

 新印象派が印象派と異なる点として、戸外で観察した風景をアトリエで作品に仕上げたことがひとつ挙げられるが、後年のシニャックは海に出る際に水彩でスケッチをするようになり、その透明感に引かれて晩年はとくに水彩画に取り組んだ。人物画については、ブルジョワジーの朝の風景を描いた《朝食(ダイニングルーム)》(1886〜87)や、新印象派が手引きとした、数学者シャルル・アンリの美学論に基づく動的な背景が特徴の《七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像(Opus 217. Against the Enamel of a Background Rhythmic with Beats and Angles, Tones, and Tints, Portrait of M. Félix Fénéon in 1890)》(1890)などが代表作にある。99年、点描画法の理論をまとめた『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』を出版。口が重く若くして亡くなったスーラの実践を伝え、新印象派を牽引したシニャックの画業は、アンリ・マティスをはじめとするフォーヴィスム、ベルギーやオランダの画家たちに大きな影響を与えた。1935年没。