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土佐光信

Mitsunobu Tosa

 土佐光信は土佐派中興の祖。土佐派は、室町幕府が擁立した北朝の絵所預に任じられた藤原行光を祖とするやまと絵の画派。行光のやまと絵を継承した行広(光信の祖父)が土佐の姓を名乗って土佐派の基礎をつくり、朝廷と足利将軍家双方の絵画制作を請け負い、光信の時代に隆盛を迎えた。光信の生没年は定かではないが、1525(大永5)年に92歳で没したとの記録もある。肖像画の名手とうたわれ、絵巻物では北野天満宮所蔵の《北野天神縁起絵巻》(1503)、東京国立博物館所蔵の《清水寺縁起絵巻》(1520)を手がけている。06(永正3)年に光信が《京中図》の屏風を描いたという記録があり、これが洛中洛外図流行の端緒となったと考えられている。現存最古の洛中洛外図である《洛中洛外図屏風 歴博甲本》は、光信率いる土佐派の影響が色濃い。土佐派は、光信以降、絵所預を世襲するようになるが、将軍家御用絵師の狩野派の台頭により、宮廷側の仕事に終始することが多く、室町幕府の滅亡とともにその正系は途絶えた。