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ゼロ次元

Zero Jigen

 近代が忌避してきた裸体を日常生活に突如介入させることで、近代を批判・超克しようとした過激な前衛芸術家グループ。1960年に川口弘太郎、岩田信市らが名古屋で結成した絵画グループ「0次現」(のちに「0次元」と改称、その後も表記は一定しない)に、多摩美術大学を卒業して故郷名古屋で教職に就いていた加藤好弘ら青年美術家協会のメンバーが合流し、次第に活動が先鋭化。63年1月、「狂気的ナンセンス展」(愛知県文化会館美術館)で栄の路上を這って行進したのを皮切りに、翌64年に拠点を東京に移した加藤と、名古屋にとどまった岩田を中心に、都市空間のなかで数々のパフォーマンスを行った。

 単独での活動のほか、全国の反芸術的傾向のパフォーマーが集結した「日本超芸術見本市」や、地方としては異例の規模で注目された岐阜の「アンデパンダン・アート・フェスティバル」などにも参加。大阪万博を控えた69年には、「告陰」、「ビタミンアート」、秋山祐徳太子らを結集して「万博破壊共闘派」を組織、各地で反万博運動を展開し、加藤を含む数名が猥褻物陳列罪で逮捕された。翌70年、活動の集大成となるパフォーマンス記録映画『いなばの白うさぎ』を製作したのち、加藤は次第にインドのタントラ研究に、岩田は名古屋の若手作家らを擁護する「ゴミ裁判」闘争に没頭し、グループとしての活動は減少、それぞれに個別の道を歩むことになった。

 公衆の面前で裸体になることに執着するゼロ次元の活動は、当時アングラ文化の一例として週刊誌を賑わせたが、ヨシダヨシエ、針生一郎など一部の批評家を除き、美術界には黙殺された。後に三頭谷鷹史、椹木野衣、黒ダライ児らによって評価され、近年は愛知県美術館による資料の収集・調査が進められている。

文=副田一穂

参考文献
椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998)
黒ダライ児『肉体のアナーキズム:1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(グラムブックス、2010)