2024.4.12

Gallery Trax・三好悦子インタビュー。ゆったりと流れる時間がとらえる現代美術の前線

デザイナーの木村二郎と三好悦子によって1993年、八ヶ岳山麓に誕生した「Gallery Trax」。木村が世を去ったあとも、角田純、五木田智央、ロッカクアヤコ、大森克己、川内倫子といったアーティストの展覧会を開催し続ける三好に、ギャラリーとしての思想、そしてアーティストたちへの思いを聞いた。

聞き手・文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

「Gallery Trax」にて、三好悦子。背景は佐々木亮平「ふち」(2024年3月16日〜3月31日)の展示作品
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 インテリア・デザイナーの木村二郎とグラフィック・デザイナーの三好悦子によって、1993年、山梨・八ヶ岳南麓の使われなくなった保育園を利用して設立されたギャラリー「Gallery Trax」。2004年に木村が世を去ったあとも三好によって現在にいたるまで運営され、角田純五木田智央ロッカクアヤコ、大森克己、川内倫子といった現代美術の最前線で活躍するアーティストたちの活動を支えてきたことでも知られている。ギャラリー設立からいまにいたるまで、三好がどのような思想で展覧会を運営してきたのか、そして現在のアートマーケットやこれからの展望について何を思うのか、話を聞いた。

Gallery Trax

Gallery Traxはいかにして生まれたのか

──Gallery Traxは設立以来30年にわたり、山梨の八ヶ岳のふもとで新進気鋭のアーティストのキャリアの礎となる展覧会を開催してきました。1993年、三好さんと木村二郎さんがこのギャラリーを設立した経緯を教えてもらえますか。

 ここに移り住む前、私と二郎さんは関西でとても忙しい毎日を送っていました。私はグラフィック・デザインの仕事が山のようにあり、二郎さんもインテリア・デザイナーとして売れっ子だったので、ふたりとも仕事に追われていて、忙しいときは週に3日は徹夜をしていたと記憶しています。

 そんな生活を続けているなかで、私が「土の上を歩きたい」なんてことを言うようになったんですね。そうしたなかで、たまたま訪れたこの八ヶ岳のふもとが本当に良くて、ここに移り住もうと決めました。

Gallery Trax

──しかし、おふたりはただ移住するだけではなく、保育園の跡地を住居にし、さらにGallery Traxとしてギャラリーを始めました。

 移り住んだところで、いままでのように広告の仕事ができるわけではないので、何かしら新しい仕事をするしかなかったんですよね。でも、二郎さんは田舎に住めることにただ喜んでいて、私も具体的に何をやろうということを最初は考えていませんでした。たまたま、広い遊戯室のあるかつて保育園として使われていた建物が見つかったので、二郎さんは自分のオブジェを展示するギャラリーをやって、私はカフェをやればいいんじゃないか、ということになりました。

 当時は周囲に家もなくて、こんなところに本当に人が来るのだろうかという不安も多少はあったのですが、とにかく詳細な計画を立てずに、楽天的に始まった。それがGallery Traxです。

Gallery Traxのカフェスペース

──初期はどういった展覧会を開催していたのでしょうか。

 最初は山梨の陶芸家の作品をはじめとした、工芸の展示販売を行っていました。でも、ただ作品を並べるだけではなく、二郎さんの什器と組み合わせた斬新な展示を心がけていました。それをきっかけに、二郎さんの家具にも次第に注目が集まるようになってきて、首都圏からも人が訪れるようになり。当時はこんなことが可能なんだ、という素直な驚きがありました。

アーティストとともに歩んだからこそ続けられた

──2004年に木村二郎さんが亡くなって以降も、三好さんがひとりでこのGallery Traxでたくさんのアーティストの展覧会を開催してきました。そこにはどのような思いがあったのでしょうか。

 もともと地縁のある場所ではないですし、ここで生きていくためには、やはりギャラリーを続けなければいけなかったわけです。何より二郎さんが生きてきた証を私が守っていかなければ駄目なんじゃないか、という思いがありました。アーティストの角田純さんを筆頭に、周囲のアーティストや友人らには本当に助けられて、それでなんとかやって来られたんだと思います。

 作品がたくさん売れるわけじゃないし、本当のところ経済的には大変だったんです。でも、この仕事はアーティストのつくったものが最初に見られるし、彼らが滞在して一緒にご飯を食べて、話をすることで、その気持ちをダイレクトに知ることができる。それが本当に刺激的だったんだと思います。いまもその思いは変わりません。

Gallery Traxの内観

──名だたるアーティストが「Gallery Trax」で展示をし、育っていきました。アーティストはどのように選んできたのでしょうか。

 みんな、Traxに引き寄せられて来た人ばかりです。こちらからアプローチをしたわけではないんですよ。五木田智央くんも無名のときから知っていますし、SIDE CORE松下徹くんもあるときにふらっとやって来て、一緒に夕食を食べて、それでグループ展をやるといった流れになりました。

 坂口恭平くんも角田純さんからの紹介です。「最近、みんな大人しいから、すごい尖った人はいないかな」なんて角田さんに言ったら紹介してくれました。出会ってから、坂口くんは絵を描いて展覧会で発表するということを始めてくれましたね。

 積極的にアーティストと関わろうとしたというより、Traxに来てくれたアーティストが、この場所でこんなことがやりたいと発想してくれた。それが展覧会というかたちになったんですよね。

 ギャラリーを始めてからずいぶん経ったころに、「私は刺激的な人が好きなんだな」ということに気がつきました。アーティストの真摯さだったり、あるいはクレイジーなところだったり、そういった「人が見える」瞬間が好きなんです。

来訪していた細野晃太朗(HAITSU・ディレクター)と話す三好悦子

──展覧会の順番や内容については、ギャラリーとしてどのような姿勢で臨んでいますか。

 アーティストを尊重して任せる、というのが基本的な姿勢です。もちろん、展覧会の順番であるとか、アーティストの選定などは、私自身の気持ちを大切にしていますが、ときにはその場の話から生まれた口約束で決めることも多いです。確固たる姿勢があるわけではない気がします。

マーケットと対峙すること、そしてこれから

──Traxで展覧会を開催したアーティストのなかでも、五木田さんやロッカクさんなどは近年のアートマーケットで高く評価され、オークションでも高値がつくようになりました。こうしたアートマーケットの変化について何か思うところはありますか。

 ギャラリーの歴史のなかで、アートマーケットのバブルは2回経験していることになるでしょうね。2008年のリーマン・ショック前のアートバブル、そして2010年代後半から2023年ごろにかけての今回のアートバブルです。

 今回のアートバブルはどこまで行ってしまうのだろうと少し懸念していましたが、昨年あたりから落ち着きをみせたようで少しほっとしています。5年ほど前から、五木田くんやロッカクさんの作品を売ってほしいというメールが国内外から大量に送られてきていました。マネーゲームに参入したわけではないのに巻き込まれるのが怖いところですよね。

 でも、二郎さんはいつも「人と人はフィフティ・フィフティであるべき」と言っていました。それを貫いた人ですし、だからこそ私にとって人生の師匠です。アーティストと対話をして、結果的に作品が出来て、展覧会が開催される。そういった順番を大事にする、二郎さんの精神を忘れることはありません。

Gallery Traxの内観、佐々木亮平「ふち」(2024年3月16日〜3月31日)の展示風景

──2023年12月には木村さんが制作した家具を中心に、晩年に手がけた映像作品やドローイングまでを紹介する展覧会、木村二郎「ReConstruction」を開催しました。さらに同展は東京・日本橋のギャラリースペース「AA(アー)」(2024年4月6日〜4月14日)にも巡回しています。なぜこのタイミングで開催することになったのでしょうか。