NEWS / REPORT - 2024.3.26

「大吉原展」(東京藝術大学大学美術館)開幕レポート。吉原で育まれてきた文化を通じて、遊女たちの生き方や置かれた環境に目を向ける

展示風景より、辻村寿三郎・三浦宏・服部一郎《江戸風俗人形》(1981)

展示風景より。第1部では、明暦の大火以降につくられた新吉原の全貌が描かれた俯瞰図などがメインに紹介されている

展示風景より、福田美蘭《大吉原展》(2024)。本展キービジュアルは現代美術家・福田美蘭が担当した

展示風景より、左から喜多川歌麿《青楼十二時 続 亥の刻》、《青楼十二時 続 子の刻》。遊女の1日の様子が2時間毎に描かれている

展示風景より、菱川師宣『江戸雀』第十巻(1677)。江戸時代最古の地誌であり、江戸の名所について詳細な記録がなされている

展示風景より、左から《白綸子地石畳将棋模様小袖》(17世紀、3月26日〜4月7日)、川又常正《青楼遊客図》(18世紀、前期展示)

展示風景より、鳥文斎栄之による大首絵

展示風景より、手前は高橋由一《花魁》(1872)。洋画家・高橋由一は、吉原が培ってきた花魁の姿を記録すべく、当時全盛であった花魁・小稲の肖像画を依頼された。その姿が克明に描かれているものの、錦絵の美人画特有の理想化されたビジュアルとは異なっていた。完成作を見た小稲は「私はこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったという

展示風景より、河鍋暁斎《吉原遊宴図》(1879〜89、前期)。暁斎は吉原の華やかさのみならず、痩せ衰えた遊女が新吉原から追い出され悲惨な末路をたどる《薄幸物語》を肉筆画で残しており、吉原における理想と現実を描いている

展示風景より、写真絵葉書。東京大正博覧会の際に記録として撮影され、販売や新聞雑誌への掲載もされた。当時、花魁・白縫が花魁道中は人権無視・虐待であると訴えたことは、「デモクラシー女史」であると評価されるいっぽうで、花魁道中が遊女にとって名誉であると考えていた吉原の人々に大きなショックを与えた

3階展示室 展示風景より

展示風景より、手前は歌川広重《名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩海岸》(1857)。吉原の街並みが再現された展示空間の手前には、市中から吉原に向かう道のりが描かれた広重の浮世絵が並べられている

展示風景より

展示風景より、歌川国貞《北国五色墨》(1815、前期)。吉原の5種の異なる職分の女性たちを描いたもの

展示風景より、「伝 玉菊使用三味線」。才色兼備で三味線の名手でもあった遊女・玉菊は吉原で愛された人物であったが、わずか20数年でこの世を去った。玉菊を偲んで店先に飾られた灯籠は、いつしか吉原の年中行事となった

展示風景より、手前は結髪雛形

展示風景より、辻村寿三郎・三浦宏・服部一郎《江戸風俗人形》(1981)

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編集部