Report
第34回京都賞記念ワークショップ
パフォーマンスとメディア・―ジョーン・ジョナスとその変遷あるいは継承―
©Yoshikazu Inoue
©Yoshikazu Inoue
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ワークショップの冒頭、ジョナスはゆったりとした足取りでステージに上がり、自らの活動初期の現場であり、実験的創作の源となった60年代後期から70年代初期のニューヨーク・アートシーンについて語った。当時空室だらけだったロウアー・ウエスト・サイドのロフトや再開発の影で更地となっていたハドソン川沿岸がアーティストたちの活動の場となり、場所代や規制などアーティストの足枷になるものはほとんどなかったこと。ジャドソン・チャーチ、キッチン、ポーラ・クーパー・ギャラリー、アンソロジー・フィルム・アーカイヴスなど、現代まで語り継がれる実験的表現が生まれた数々の伝説的な場所が、まだ価値の定まっていない(同じく今日では伝説的存在となった)若いアーティストたちのための場所として開かれ、音楽、視覚芸術、身体表現、文学などさまざまな表現手段が模索されていたこと。そして、そのような状況を背景に、親密なコミュニティのなかでアーティストたちが各々やりたいことをやり、互いの関心にレスポンスし合うなかで醸成されたニューヨークのダイナミックな空気感。そのなかでジョナスも自らの表現を模索していたことが生き生きと語られた。
「今日、状況はアーティストにとってより困難になっていると思う」というジョナスのコメントは、再編や再生に伴う均質化と二極化が進む都市空間の在り方、そしてSNSなど流れの速いメディアにおける即時的な評価が生み出す現状の窮屈さを憂うと同時に、そのような時代に生きるアーティストたちを自らの表現の探求に立ち返るよう激励する言葉とも感じられた。
ワークショップに近作《Hello Holy!》(2017)と《イカロスの花嫁》(2015-16)のシングル・チャンネル上映で臨んだ笹岡とジョナスの対話では、特に前者で笹岡が用いた創作言語を中心に話題が展開した。身近な存在の喪失をきっかけに、その魂に呼びかける鎮魂歌として制作された同作は、極めて主観的なアプローチをとることで言語によるコミュニケーションの不可能さを肯定し、彼女独特の親密で手触り感のあるイメージから観客を意図的に引き離すような表現が試みられている。この笹岡の試みに着目したジョナスは、観客が作品の世界観を覗き見るための些細な手がかりがときに彼らを引き込む重要な鍵となることを語った。2人には既存の文学作品や伝説を引用した作品がそれぞれあり、物語への関心は言うまでもなく彼女たちに限ったものでない。ここでジョナスと笹岡について特筆すべきは、彼女たちの作品における語りや歌が物語とイメージを結びつける役割を果たし、遠い過去の物語を複数の時間や場所のものとして見出させてくれるということだろう。例えばジョナスの《火山のサーガ(Volcano Saga)》(1989)と笹岡の《イカロスの花嫁》は、それぞれアイスランドのサーガ(神話)とギリシャ神話をベースに作られているが、物語とパラレルな関係におかれた語りや流行歌がイメージと物語の間を隠喩的に媒介し、その場所や時間を重層化させていく。60年代、第二派フェミニズムの影響を受けていたジョナスは、既存のテキストにおいて女性たちが領有する位置を意識し、ただその声を届けるのではなく、自らその声と「対話」し言葉を引き出すことで、既存の女性像を再解釈または自作におけるキャラクターとして再構築するというアプローチをとってきた。また、2000年代以降の作品ではその関心がハルドル・ラクスネスやエミリー・ディキンソン、またはサイ・モンゴメリーやレイチェル・カールソンらの著作に向けられており、イメージと語りを通じた人と環境のあり方に立ちかえる対話的かつ詩的な再構築が試みられている。
笹岡由梨子「Hello Holy!」展示風景(提供:笹岡由梨子、京都市立芸術大学)
contact Gonzoと金氏徹平によるパフォーマンスの様子
©Yoshikazu Inoue
続くcontact Gonzoと金氏徹平は、丸亀猪熊弦一郎現代美術館やKYOTO EXPERIMENTで試みてきた身体と彫刻における可視/不可視の関係を探る共作に、光を加えたパフォーマンス作品を上演した。出会っては激しく反動しあうcontact Gonzoの動きに、オブジェと一体になった光学機器を携え緩やかに動き回る金氏のパフォーマーたちが加わり、さまざまな要素が渾然とうごめく空間のなかで光を受けた身体がしばしば浮かび上がる。身体とオブジェ、静と動など相反するもの同士が入り混じる混沌とした状況のなかに、相互の動きを意識した瞬間に生み出される空間や、ときに激しさを帯びる動きから現出する形態をジョナスはすかさず捉え、その可能性について両作家に問いかけた。
©Yoshikazu Inoue
この問いかけを彼女の創作から筆者なりに掘り下げてみたい。大学で美術史を専攻したジョナスは、学生時代から絵画や映画、彫刻における空間の役割、そしてフレームのなかに生まれる錯覚に関心を寄せ、その探究はのちのジョナスの作品において特徴的な要素となる距離や奥行きの扱い方に大いに影響している。
「観客にそれ[空間]がどのように見えるのか、観客は何を見出すのか、そして、彼らは空間の曖昧さと錯覚とをどうやって認識するのか」1 。この独特の空間と知覚に対する探究が、ジョナス独自の言語をかたちづくる重要な手がかりとなり、今日彼女の作品の根幹をなす表現言語を形成していったといえるだろう。ジョナスが塚原(contact Gonzo)に繰り返し問いかけた「なぜ荒っぽい(violent)のか」という問いは、一方でビデオや動き、ドローイングなど複数の断片の掛け合わせや共演者との掛け合いから「様々な要素の[撮影]と[編集]を頭のなかで繰り返し行」2 い、一旦作品が完成してからは変更を加えないというジョナスの創作のスタイルと、他方で事前に想定した物語を再生するのではなく、あくまで即興的に動きを生み出しその断片からパフォーマンスの読み解きを開くcontact Gonzoのパフォーマンスとが、観客と作品との間に異なる距離感の可能性を見出していることを示唆する。
1 : Joan Jonas, Scripts and Descriptions 1968-1982, Berkeley: University Art Museum, University of California, 1983.
2 : 『美術手帖』2019年4月号「ARTIST PICK UP」より
©Yoshikazu Inoue
1970年のEmanu-el YMHA(ニューヨーク)での《ミラー・ピース Ⅱ》のパフォーマンスの様子
Photo by Peter Moore
©Joan Jonas
Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, Wilkinson Gallery, Yvon Lambert and WAKO WORKS OF ART
美術批評家のダグラス・クリンプは、ジョナスの60年代末から80年代初頭までの初期作品を振り返って、観客とパフォーマンスの間に生まれる肉薄した親密さと、それを和らげるさまざまな「近寄り難さ(distance)を生み出す装置」3の存在を指摘している 。言い換えれば、動きやかたち、音といったジョナスが用いる表現言語が、断片化、重層化あるいは反復によって観客と作品とを一定の距離におく装置となっているともいえるだろう。他方、一人称的な視点から対象の中に自らを投じ、客観的とされていた従来の「ジャーナリズムの[領域]を内側から喜々として破壊するような」言論活動のスタイルにその名を由来するcontact Gonzoのパフォーマンスは、その距離を詰め限界まで近づいたときに見出されるものへと向かっている。
3 : Ibid.
言語について言えば、これまでもジョナス自身がしばしば語ってきたように、1970年の来日はその後の彼女の表現言語の獲得にさらなる契機をもたらした。当時すでに「象徴的で原型的」なオブジェをもちいた作品を発表していたジョナスは、一方でミニマリズムの影響から逃れ自らの言語を獲得することを模索していた。そんななか、来日中繰り返し鑑賞した能楽や、その舞台装置の抽象的な美、音響効果、独特な身体表現や動き、空間設計などその体験は、さまざまな角度から彼女を触発したという。また、「当時ポータパックを持つことはラディカルなことだった」とジョナス自身が振り返ることからも、70年の来日で購入したビデオというテクノロジーもまた、その後の彼女の制作を大いに展開させた一因であることが推し量られる。閉回路、即時的なフィードバック、そしてプロジェクションやモニターと連動することで生まれる知覚空間の拡張など、帰国後に制作された「オーガニック・ハニー」の連作以来、ジョナスはその技術の可能性を自らの媒体として押し広げていった。
パフォーマンス後、出演者と対話するジョーン・ジョナス
©Yoshikazu Inoue
「Light Time Tales」展(2014年、ピレッリ・ハンガービコッカ)での《Reanimation》のパフォーマンス風景
Joan Jonas, Reanimation, 2012, performance at Hangar Bicocca, Milan, Italy, Light Time Tales, 2014. Photo by Moira Ricci
また、70年代初期、誰にでも手の届くツールではなかったにせよ、ジョナスに限らず多くのアーティストにとって、ビデオは当時まだ価値の定まっていない表現を後押しするメディアとして採用され、また国や領域を越えたゆるやかな共同体の形成を夢想させた。ソニーによる技術提供や米国の公共放送WNET(のちのTHIRTEEN)によるビデオ・プログラムの放映など、企業によるアーティストへの支援がそれまで想定していなかった芸術と社会のコミュニケーションを可能にしたことも、ビデオがアーティストたちを熱中させた理由の一つだった。今日、美術館や劇場といった既存の活動拠点に安住することなく、オンライン・プラットフォームに発表の場を拡張しようとするアーティストたちの動きも、アーティストと観客とがどのように作品を介してつながるのかという関心、そしてアーティスト自身が表現の場を領有してゆくのだという自律的な精神を引き継ぐもののように思われる。ビデオはその普及当時、アーティストと世界をつなぐ画期的なテクノロジーだった。そして、金氏がパフォーマーとしてワークショップに招き入れた学生たちのように、今日後続世代にみられる身心とテクノロジーとの加速化したつながりもまた、ビデオが70年代のアーティストたちにもたらしたものとは異なる「ラディカル」な転回の可能性への期待感を帯びているのではないだろうか。
ワークショップを通して、半世紀に渡るジョナスの創作活動が彼女独自の表現言語の飽くなき探究であったということ、そしてその活動が時代の精神や彼女を取り巻く人物とつながりながら変遷してきたということが明確に示されたように思う。笹岡からの老いや死への恐怖に関する問いかけに対し、「今では眼鏡を外しているとき以外、鏡を見たいとは思わなくなった」と冗談混じりに答えながら、ジョナスは初期パフォーマンスで求めたような自分のイメージに対する検証や自らが唯一作品の中心を占める存在で居続ける必要がなくなり、創作を続ける過程で自ずと自分より若い共演者を作品に招き入れようになったと語った。初期から現在まで形を変えながらもアーティストやパフォーマーとの共演を続けることは、彼女の実践が常に新たな可能性へと開かれていることを示している。例えば、2000年代初頭から《Reanimation》(2010/2012/2013)など複数のパフォーマンスで共演するジャズピアニストのジェイソン・モランは、それまでの旧知の音楽家たちとは異なる音楽とパフォーマンスの在り方を求めてジョナスからアプローチをした初めての相手だという。以前は先行して収録された音源を元に一人でパフォーマンスの構想を練っていたジョナスだが、モランとの共演では互いに相手の音と動きに応答しながら作品を構築している。ジョナスはモランとの共演をジャズにおける即興(improvisation)に例え、「そこには常にあらかじめ考えられた主旋律があり[...]そしてリズムと動きが一人でに生まれてくる」4 のだと語っている。
また、近年の作品の主題においても、ジョナスの創作が世界と呼応し続けていることが読み取れる。その主題とは、前述の《Reanimation》で初めて意識的に盛り込まれ、昨年東京で展示された《完璧なおとり(Flawless Decoys)》(2017)や海洋環境を掘り下げた《Moving off the Land》(2016-)などに通底する、環境と人の在り方の再考である。気候危機や海洋汚染など、環境の変化は今日私たち一人ひとりにとってその存在の根源を揺るがす(ラディカルな)問題だと言えるだろう。世界規模の危機的状況に対し、これからの世代は想像力によってどのように世界の物語を読み解くのか。作品を介して行われたジョナスとの対話は、アーティストたちに、そして観客一人ひとりにその手掛かりを示してくれたのではないだろうか。
4 : Joan Jonas in Conversation with Jason Moran, Joan Jonas, Hirmer Publishers, 2018. p. 194
「Light Time Tales」展(2014年、ピレッリ・ハンガービコッカ)での《Reanimation》のパフォーマンス風景
Joan Jonas, Reanimation, 2012, performance at Hangar Bicocca, Milan, Italy, Light Time Tales, 2014. Photo by Moira Ricci
Photo by Brigitte Lacombe
Reanimation, 2010/2012/2014. Installation view of the exhibition, Light Time Tales, Hangar Bicocca, Italy, 2014. Photo by Agostino Osio
Reanimation, 2010/2012/2014. Installation view of the exhibition, Light Time Tales, Hangar Bicocca, Italy, 2014. Photo by Agostino Osio