2024.4.6

「ホー・ツーニェン エージェントのA」(東京都現代美術館)開幕レポート。映像だから到達できた時間への問い、歴史への問い

シンガポールを拠点に、映像作品を中心に活動するアーティスト、ホー・ツーニェン。その個展「ホー・ツーニェン エージェントのA」が東京都現代美術館で開幕した。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、ホー・ツーニェン《時間(タイム)のT》
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 シンガポールを拠点に活動するアーティスト、ホー・ツーニェンの個展「ホー・ツーニェン  エージェントのA」が東京都現代美術館で開幕した。会期は7月7日まで。担当キュレーターは同館学芸員の崔敬華。

展示風景より、ホー・ツーニェン「時間(タイム)のT:タイムピース」の《オートバイ(空虚)》

 ホー・ツーニェンは1976年シンガポール生まれ。これまでに、東南アジアの歴史的な出来事、思想、個人または集団的な主体性や文化的アイデンティティに独自の視点から切り込む映像やヴィデオ・インスタレーションやパフォーマンスを制作してきた。既存の映像、映画、アーカイブ資料などから引用した素材を再編し、東南アジアの地政学を織りなす力学や歴史的言説の複層性を抽象的かつ想起的に描き出すことで、多様な視点を呼ぶこむことに成功し続けている。

展示風景より、ホー・ツーニェン「時間(タイム)のT:タイムピース」の《トラ(尾)》

 本展はホーのこれまでの歴史的探求の軌跡をたどるべく、最初期の作品から国内初公開となる最新作までを展示するものだ。

 今回の展覧会は、ホーが一貫して興味の対象としてきた「時間」についての思索が全面に現れている。それは会場内に42点の映像を散らばらせて展示している作品群「時間(タイム)のT:タイムピース」からもうかがえるだろう。

展示風景より、ホー・ツーニェン「時間(タイム)のT:タイムピース」

 「タイムピース」は英語で「時計」や「時間を測定するもの」という意味を持つが、各映像で扱われている時間は様々だ。例えばオートバイのライダーのヘルメットに映って過ぎ去る一瞬の風景から、惑星の周回軌道にいたるまで、その長短のバリエーションは多岐にわたる。この映像群は、時間が絶対的な示準ではなく、その歴史的位置づけや当事者たちの立場、さらに時間を享受する一人ひとりの心情によって可変することを示唆している。

展示風景より、ホー・ツーニェン「時間(タイム)のT:タイムピース」

 もちろん、時間芸術である映像によって、時間についての思索を行うという二重性もホーの意図するところといえるだろう。例えば、本展には3つの大型スクリーンを持つ展示室があるが、それぞれ2つのスクリーンを二重に設置した部屋、対面にスクリーンが設置した部屋、裏表にスクリーンを設置した部屋と、異なる形態を持っている。これらの展示室で上映される作品は固定されておらず、見られる作品は時間によって異なる。会場各所を移動するように映像作品が巡回しているともいえ、観客が各映像作品の持つ時間を能動的にとらえようという意識を生み出している。

展示風景より、ホー・ツーニェン《一頭あるいは数頭のトラ》

 上映作品のなかでも、60分の長編映像作品《時間(タイム)のT》はとくに時間と歴史についての接続を強く感じさせるものだ。日本の明治維新における太陽暦の導入、あるいはシンガポールにおけるGMT採用の変遷、クオーツ時計の誕生や時間と労働の関係など、時間とその背景にある社会や歴史までを俯瞰しようとする壮大な試みだ。

展示風景より、ホー・ツーニェン《時間(タイム)のT》

 《名前》と《名のない人》はシンガポール(あるいは独立前のマレーシア)の歴史に焦点を当てた作品だ。前者はマラヤ共産党とマラヤ危機に関連した文献を残したジーン・Z・ハンラハンについての、後者はイギリス、日本、フランスの三重スパイとして暗躍しつつマラヤ共産党総書記を務めたライ・テックについての映像作品だ。

展示風景より、ホー・ツーニェン《名前》

 既存の映画のシーンをコラージュのように構成しながら、淡々とした語りでミステリー調に語られるこの2作だが、両作が投げかけるのはたんなるマレーシア/シンガポールの歴史の複雑さだけではない。1943年から45年の終戦まで日本が統治していた同国は、日本が去った後、マラヤ共産党によるマラヤ危機や、イギリスからのマレーシア独立、そしてマレー系住民と中華系住民の対立を経てのシンガポール独立という激動の歴史を経験する。しかし、こうした歴史を現代において認識している日本人は多くはないのではないか。日本とシンガポール、それぞれが経験した時間の差異が可視化されることで、ここでも時間の多重性が意識されることになる。

展示風景より、ホー・ツーニェン《名前》

 また、本展ではVR作品《ヴォイス・オブ・ヴォイド─虚無の声》も体験できる。畳に座り、VRゴーグルをつければ、鑑賞者は日本の近代史について意見を述べる人々の会食のなかに入り込むことになる。さらに本作は鑑賞者の身体の動きによって舞台を変える仕組みになっており、立ち上がれば鑑賞者が上空へと昇っていき戦闘用と思わしきロボットの一群に参加する。いっぽうで寝転べば身体は地下へと潜っていき、監獄のなかに入り込む。

展示風景より、《ヴォイス・オブ・ヴォイド─虚無の声》の鑑賞空間

 本展のほかの映像作品の多くは、どのような姿勢で見るのか、どのタイミングで視聴をやめるのか、といったことは視聴者に任されているといえる。しかし、このVR作品は鑑賞者を場所に紐づけ、さらに鑑賞のためには身体の特定の動きも要求される。身の回りに映像があふれ、視聴の時間も場所もコントロールが容易になった現代において、映像のなかに身を置き、限られた時間を享受するという体験には大きな意味があるように感じられる。

展示風景より、《ヴォイス・オブ・ヴォイド─虚無の声》のVR体験録画映像

 時間と映像の関係性に真摯に寄り添いながら、あらゆる時間が何かしらの事象に接続しているという歴史性をも照射するホーの作品群。ホーは本展について次のように語っている。「鑑賞者がいることで本展は完成すると思っている。(作品と鑑賞者が)時間を共有することで、相互の関係が再創造される。創造の瞬間を感じてみてほしい」。ぜひ、会場を訪れて、この空間に存在する、ここにしかない時間を体感してほしい。