2021.2.13

中止を乗り越える鍵は「コミュニケーションデザイン」にある。ディレクター・田村かのこが語る札幌国際芸術祭2020のオンライン展開

昨年12月からの開催を予定していながら、新型コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされた「札幌国際芸術祭2020」。しかし同祭は現在、オンラインでの活動を積極的に行い、デジタル上で芸術祭の魅力を発信しようとしている。この背景にある狙いについて、札幌国際芸術祭2020コミュニケーションデザインディレクターの田村かのこに話を聞いた。

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

コロナ以前に行われたイベントの様子。左が田村かのこ 撮影=詫間のり子
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芸術祭を「等身大」で伝える

──まずは田村さんの役職である「コミュニケーションデザインディレクター」についてお話を伺います。通常の芸術祭ではひとりのディレクターが全体のディレクションを担うわけですが、札幌国際芸術祭(以下、SIAF)2020では現代アート担当の企画ディレクター兼統括ディレクターとして天野太郎さん、メディアアート担当の企画ディレクターとしてアグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカさん、そして田村さんの複数ディレクター体制となっています。このなかで、田村さんが担う役割とはなんですか?

 今回、SIAFが初めて複数ディレクター制にした意図として、これまでのような単独のゲストディレクターではなく、異なる専門性を持ったチームにし、SIAFに求められるものをより追求していこう、というという考えがありました。その「求められるもの」のひとつとして「展覧会と観客をどうつなぐかに注力する」ということがあり、コミュニケーションデザインに特化したディレクターを公募したのです。

 私は普段、アート専門の通訳・翻訳家として活動していますが、コミュニケーションデザインはそのなかで考えていることと非常に近い。「通訳」「翻訳」というと、単純に言葉を変換するだけだとイメージされがちですが、表現の現場だとつなぎ方には0から100までのグラデーションがあって、ディレクションが必要なんです。コミュニケーションにおいても、どういうつなげ方があり得て、どんなクリエイティブなことが試せるのかを、芸術祭のディレクターとして探ることに可能性を感じました。

 コミュニケーションデザインディレクターの役割は展覧会と観客をつなぐところのすべてをディレクションしていくことですが、私はそれを「翻訳」だととらえています。つまり、どちらかのメッセージを一方的に伝えるのではなく、受け取る側の観客がどういう人たちなのかとか、発信する側としてどういう言い方をするとより良く伝えられるのかを考え、多層的に展開していくということです。

 参加作家が決まっていない時点からコミュニケーションについて心配する人がいるという運営体制はかなり珍しいと思います。従来の広報だとできあがったものをどう伝えていくかという話になりがちですが、私は芸術祭のテーマを決める段階からチームに入っている。これは画期的なことです。

──つまり広報的な目線や、コミュニケーションに対する考え方が最初から全体のなかに織り込まれていくということですね。

 そうですね。「これは誰に伝えていきますか」「これは観客目線で見ると本当に良い企画なんでしょうか」ということを、展覧会の中身をつくる際に一緒に考えることができる。これは私が通訳をする際にも理想だなと思っていたことなんです。例えば何ヶ月も続いたプロジェクトの最終発表にだけ呼ばれて「2時間通訳してくれ」と言われるのではなく、企画段階から内部に入って翻訳することの意義や方針を企画者と一緒に考えていきたいと思っていたんです。

 企画を立てる段階からコミュニケーションデザインが織り込まれる企画体制とつくるというのは、芸術祭だけでなくその他のアートプロジェクトにおいても有効だし、異なる背景を持つ人々や複数の言語が関わる状況ではとくにあるべき状態ではないかなと考えています。

──SIAF2020では(当然ながら)当初は開幕に向けてコミュニケーションデザインも進んでいたかと思います。それが一気に中止という方向に転換を余儀なくされた。そうした状況のなかで田村さんはどう動いたのでしょうか? とくにコロナ以降、コミュニケーションの方法がリアルからオンラインへと大きく変化していますよね。

 コロナ以前は、札幌市民のなかで芸術祭の認知度が足りていないという課題がありました。だから札幌市民を第一の観客と想定して、等身大で市民と向き合い、気負いなく楽しめるような入口をつくるのがコミュニケーションデザインの大きなテーマだったんです。その方針のもとに、アートに馴染みがなくても楽しめるプレイベントを2019年からたくさん開催してきました。

 本来であれば昨年も私自身が札幌で市民の方々と交流する場をたくさんつくろうと思っていたのですが、コロナでそれもできなくなってしまった。開催中止が決まる前は正直すごく不安でしたね。でも「等身大でいく」スタンスは変えないようにしようと思ったんです。中止か否かをただ待って何もしないのではなく、 YouTubeで「ディレクターズニュース」を配信し始めて、開催可否が決まっていないこととか、どうしたらいいかちょっとよくわからないよねっていうありのままの状況を発信したんです。

 中止が決定した後も、「カッコつけないで全部言っていく」スタンスを貫こうと思ったんですね。外に対してだけでなく、アーティストに対してもミーティングの場を設けたりとか。こういう姿勢がSIAF2020の特徴になっているのではないかなと思います。

重要なのはアーティストのアイデアを届けること

──SIAF2020は中止以降のデジタルコンテンツの量がすごいですよね。YouTubeひとつとっても動画本数は40本を超えており、中止された芸術祭とは思えないほどアクティブです。

 YouTubeではできるだけ「何を計画していたか」「アーティストたちが何を考えていたか」を伝えていこうという考えで配信しています。SIAF2020特別サイトを公開し、作家のインタビュー映像やそこから起こしたPDFを誰でも見られるようにして、紙のカタログも準備して、と予算の許す限りのことをしていこうと。

──まさにメディアミックスですね。

 中止になっているので展覧会自体は存在しないわけです。つまり「作品」という一番大事なものがない状態。そのようななかで大事にしなくてはいけないのは、アーティストたちがこれまで温めてきたもの、アイデアそのものだと思うんです。発表の場は失ったけれど、アイデア自体はなくならない。だからそれをいかに大事にして、観客に届けられるかが、3ディレクターの持つ責任であり、使命です。

 アーティストたちはSIAFだけでなく色々な発表の機会を奪われています。そんななか、私たちができることは、彼らが発表しようとしていたもの──アイデアの断片でも──を、より多くの人々に届けること。それが例えば次の展覧会やアーティスト同士の交流につながるかもれしない。そのミッションを果たしたいという思いで、ありとあらゆることをしていこうと思っているんです。

──そうした試みのなかで、とくに気になるのが「SIAF2020マトリクス」です。サイトにアクセスすると様々な単語が配置されており、進んでいくといろんなアーティストの作品画像や動画、言葉へとつながっていきます。「オンライン展覧会」ともまた違いますよね?

 これはアグニエシュカさん肝いりの特設サイトなのですが、これも「アーティストが構想していた、それぞれの頭の中にあったものを皆さんに伝える」ひとつの方法です。とくにこのサイトで目指したのは、アイデアという実体のないものに出会う経験をつくる、ということだと私は理解しています。

 サイトの冒頭に出てくるキーワードは、アグニエシュカさんと天野さんが設定したキュレーションに関係する言葉で、クリックするとそれに紐づいた作品に出会うための「ルート」が生成されます。そのルートはアクセスする度に異なるものが生成されるので、アイデアにどう出会うかの道筋が、機械学習により毎度提案されるというイメージですね。

SIAF2020マトリクス

──バーチャル空間に作品を展示するというのではなく、ここでもあえて作家のアイデアにフォーカスしたんですね。

 SIAF2020が中止になった後、希望はそこにしかないと思ったんです。コロナでいろんなことに絶望しそうになるなか、アーティストたちはコロナ以降の未来や絶望のその先を提案する力がある。もちろんその提案が作品というかたちで現れてくるのがベストですが、アイディアに触れるだけでもいろんな希望が見えてくると思うんです。

 だから鑑賞者の方々にはこのマトリクスでアイデアの断片に触れて、世界を見つめ直すきっかけにしてもらいたい。ちなみにこのマトリクスはアイデアの海のようなもので、他のインタビューやカタログには出てこない素材・映像がたくさんあるんです。

SIAF2020マトリクス

──このマトリクスとともに、オンラインプログラムとしては「アートメディエーションプログラム」もありますね。

 「アートメディエーション」はSIAF2020全体の傘になるようなキーワードで、作品と人が出会うとき、アーティストもキュレーターも観客もスタッフも全員が対等な立場で作品を介した対話ができる環境をつくるというのが基本的な考え方なんです。本来であれば、作品との出会い方を様々に設定する予定でしたが、それはできなくなってしまった。ただ、いま私たちがやっている「いろんな方法で全部見せる」というのはアートメディエーション的な考え方だとも思うんです。いかに全部出して、素直に距離を縮めて伝えていけるか。

 先ほどのマトリクスを見ていただくと分かる通り、アイデアを伝える部分というのはアーティストがかなり本気を出しているんですよね。それは嬉しいことですが、ちょっと難しい言い回しがあったりと、ファミリー向きではない。そこをケアする意味でも、アートメディエーションのオンラインプログラムは存在しています。

 ファミリー向け子供向けのプログラムをつくるためには、要素を削ぎ落としていくわけですよね。そうすると大事にしたいものが必然的に残る。このアートメディエーションのオンラインプログラムを通じて、私たちSIAF2020にとって大事なものとはなんなのかを考えるきっかけにもなりました。

──初のコミュニケーションデザインディレクターとしてSIAFに参加し、コロナという事態に直面して難しいことも多かったと思います。マトリクスやアートメディエーションを含め、こうした試みは次回のSIAF2023に向けてどのように接続していけばいいとお考えですか?

 芸術祭のコミュニケーションをデザインするという意味では、今回の中止を受けて場や作品を介してのコミュニケーションが難しくなった分、時空間を超えたコミュニケーションを大胆に試せたことはよかったなと思います。開催されていたら考えが及んでいなかったであろう地域や時期にまでコミュニケーションデザインの発想を広げることができました。コミュニケーションデザインディレクターという役職が置かれていたことで、中止になってもじっくり時間をかけて取り組むことができたのはよかったですね。

 例えば昨年10月から、私と事務局のスタッフやアーティストを交えて、登録した参加者の方とざっくばらんに話をする「SIAFラウンジオンライン」というオンラインサロンを開催しているのですが、これは2023まで緩く続けばいいなと思います。SIAFラウンジオンラインには札幌市民だけでなく、遠方からも参加してもらっているので、これまでの芸術祭の枠組みを超えた「SIAF2023のコミュニティづくり」がもう始まっているとも言えるのではないでしょうか。