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公募団体展

Kobo-Dantai-Ten

 公募団体展の始まりは、1907(明治40)年に公的な展覧会(官展)として設置された文部省美術展覧会(文展)に見出される(*1)。しかしその背景をたどると次の経緯がある。明治政府による文教政策の一環として、1879(明治12)年に龍池会(のちの日本美術協会)が創設されたこと、その結果、白馬会などに代表される各流派の展覧会が行われるようになったこと、そしてこれら各流派を統括した展覧会を開くことへの機運が高まったことにより、1907年に文部省の定めで、日本画・西洋画・彫刻の三部体制で第一回文展が開催されることとなった(*2)。

 その後、文展は審査体制への不信などから1919(大正8)年に帝国美術院展覧会(帝展)として再編成され、1937(昭和12)年には新文展へ改称。さらに46(昭和21)年になると敗戦を機に民営化されるかたちで日本美術展覧会(日展)へと改称した(*3)。

 その後も日展は長きにわたり国内最大の公募団体展として存在するが、文展から帝展へと至る過程にも見て取れるように、審査の不透明性への不信や昇格をめぐる派閥争い、さらには幹部会員と美術系大学の教員ポストとの癒着など、構造に対する問題点は早くから批判されており、そのたびに不満をもつ作家らによる脱退と別団体の立ち上げが繰り返されてきた。

 その結果、光風会(1912~)、二科会(1914~)、国画会(1918~)、春陽会(1922~)、白日会(1924~)、独立美術協会(1931〜)、新制作協会(1936~)、自由美術協会(1937~)、創元会(1940~)、二紀会(1947~)、示現会(1947~)、創画会(1948~)、モダンアート協会(1950~)、一陽会(1955~)、主体美術協会(1964~)など新団体が次々と立ち上がり、その数は200以上にも及んでいる(*4)。しかしいずれの団体も同様の構造的問題からは逃れられず、60年代頃より美術史の表舞台から姿を消していくこととなった。

 またこうした問題は、2009(平成21)年に朝日新聞の調査により発覚した日展不正審査問題として大きな批判を浴び、14(平成26)年に日展は展覧会名を改組新日本美術展覧会(改組新日展)と改めることとなった。

 しかしそれらの諸問題とは裏腹に、公募団体展はいまなお全国に多くの作家を擁する一大勢力となっている。その要因のひとつは地方展で、有力団体は各地方に支部をもち、各地域で活動するアマチュア/セミプロ作家や美術教員らの受け皿となることで、全国的なネットワークを形成している。さらに、そうした側面を「生涯学習」として再評価するべきとの指摘もあるなど(*5)、公募団体展の存在は一概に批判されるばかりのものではない。

 また同系列の作家は全国百貨店で発表を行うことも多く、一般社団法人アート東京の調査(*6)によると、19年(平成31年/令和元年)に国内現代美術の市場規模(平面・立体・インスタレーション含む)が458億円であったのに対して、百貨店美術(通販・外商扱い含む)の市場規模が567億円にのぼるなど(そのすべてが「公募団体展系作家」のものではないにせよ)、その経済規模は決して小さくない。

 そして、公募団体展が構造的に孕むこととなった諸問題(評価の不透明性、派閥争い、アカデミズムとの癒着など)は、近年では公募団体展以外の領野でもその問題が指摘されることが多く(*7)、そうした意味でも公募団体展は、美術界全体が孕む構造的問題に先行する存在として批判的に再考されるべきものである。

文=原田裕規

脚注
*1──半田滋男「公募展」『改訂版 美術館を知るキーワード』(横山勝彦・半田滋男監修、美術出版社、2017、45-46頁)
*2──文部科学省ウェブサイト「芸術文化の行政」
*3──細野正信「「日展」回顧展によせて」『「日展」回顧展』(読売新聞社、1986、6頁)
*4──『公募団体ベストセレクション 美術 2016』(河村三枝子・大橋菜都子・若林真理子編、東京都美術館、2016)
*5──半田、同上
*6──「日本のアート産業に関する市場レポート2019」一般社団法人アート東京
*7──2014年に結成されたアーティスト・コレクティブ「パープルーム」(主宰:梅津庸一)は、現行の美術教育制度に対する批判的アプローチとして、「パープルーム予備校」をはじめとする数多くのプロジェクトを展開している(「なぜ、パープルーム予備校か?【梅津庸一インタビュー】」ウェブ版「美術手帖」、2015年12月12日)。
また2018年には、多摩美術大学大学院彫刻専攻に在籍する学生有志が同大に「アカデミックハラスメントの防止」「教員人事の是正」などにまつわる要望書を提出した(「多摩美彫刻科の学生有志、ハラスメントなどで大学に要望書を提出」同ウェブサイト、2018年2月24日)。