新しい生活様式で挑んだ“リヒター峰”。「ゲルハルト・リヒター」展の担当研究員・桝田倫広が語る

美術館の学芸員(キュレーター)が、自身の手がけた展覧会について語る「Curator's Voice」。第9回は、日本の美術館としては16年ぶりの開催となったゲルハルト・リヒターの個展「ゲルハルト・リヒター展」展(東京展)を担当した桝田倫広(東京国立近代美術館主任研究員)が、展覧会開催の裏側を語る。

文=桝田倫広

展示風景より、《ビルケナウ》(2014) © Gerhard Richter 2022 (07062022)
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 ゲルハルト・リヒター展を担当することが決まったのは、ピーター・ドイグ展が開幕してしばらく経ってからのことだった。開幕して、とはいったけれど、新型コロナウィルスの感染防止対策のために美術館はしばらく休館していた。そして「担当することが決まった」と書いたことから推測されるように、リヒター展はもともと別の同僚が進めていた案件だった。訳あって私が引き継ぐことになったが、しかし消極的に引き受けたわけではない。私の研究における大テーマに照らせば、リヒターという存在はいずれ避けては通れない道だったし、リヒター展の企画を羨望まじりに横目で見ていたから、担当することになって内心、よし、やってやろうじゃないかと思ったものだ。それに肝心の中身はまだ何も決まっていなかったから、なおさらだ。

 それはコロナ禍において、リヒターという現代美術の最高峰へどのように登るかという冒険に乗り出すことでもあった。リヒター峰の前には、現存作家とは思えないほどの量の研究書・展覧会カタログという、これまた登攀にザイルなどが必要そうな実にごつごつとした山々が控えている。リヒター展を担当するということは、光栄なことであるとともに、大変な重責に感じられた。のちに痛感するのだが、そうした山々に立ち向かう遥か手前の平地と思われていた地点で、予期せぬ実務的な難所が多々あって、頭を抱えたり、どうしようもなくて思わず笑ってしまったりすることもあった。展覧会づくりのつねだが、完璧な展覧会などありえない。よりよい選択と思われるものを選びとることの連続でしかない。いずれにしても、リヒター展の準備は新型コロナウィルスによる混乱とともに始まった。

展示風景より、《8枚のガラス》(2012) © Gerhard Richter 2022 (07062022)