2021.1.11

「メタボリズム」の建築家・菊竹清訓。島根県立美術館で没後10年の回顧展が開催

島根県立美術館で、建築家・菊竹清訓の仕事を振り返る展覧会「菊竹清訓 山陰と建築」が開催される。会期は1月22日~3月22日。

「島根県立美術館」(1998)
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 島根・松江の島根県立美術館で、建築家・菊竹清訓(1928〜2011)の没後10年を記念し、その仕事の軌跡をたどる展覧会「菊竹清訓 山陰と建築」が開催される。会期は1月22日~3月22日。

 菊竹は1928年福岡県生まれ。自邸「スカイハウス」(1958)、「出雲大社庁の舎」(1963)といった作品や、建築運動「メタボリズム」への参加などにより国際的にも高い評価を受ける、戦後日本を代表する建築家のひとりだ。

「スカイハウス」(1958)

 本展では、菊竹による山陰地方の建築に加え、代表的な作品や、生涯を通じて取り組んだ未来都市の構想を紹介し、菊竹建築の魅力を紹介する。

 若くして自身の設計事務所を設立した菊竹は、同郷のブリヂストンタイヤの創業者・石橋正二郎から、木造建築の改築の仕事を数多く依頼された。こうした仕事の「解体」「組み立て」の作業によって、菊竹は日本建築の「更新」という概念を見いだすことになる。また正方形のワンルームを、4つのコンクリートの壁柱で持ち上げた自邸《スカイハウス》を発表し、戦後のモダニズム建築の旗手として注目を集めた。

菊竹清訓 撮影=石黒唯嗣

 また菊竹は60年、建築家の大高正人、黒川紀章、槇文彦、グラフィックデザイナーの粟津潔、インダストリアルデザイナーの榮久庵憲司らとともに、建築評論家の川添登が立ち上げたメタボリズム・グループに参加。この年、東京で開催された「世界デザイン会議」で「メタボリズム」を提唱し、新しい都市と建築を提案する。この「塔状都市」「海上都市」から始まる未来都市の構想は、菊竹が生涯を通じて取り組んだ仕事となる。

 ほかにも菊竹は、「出雲大社庁の舎」の設計を手がけた60年ごろから設計とは何かという問題に直面し、独自の方法論を構築し始める。「か・かた・かたち」の三段階の設計理論を展開した菊竹は、自信を持って63年の「国立京都国際会館設計競技」に臨んだ。菊竹の応募案は実現されなかったが、この方法論によって数多くの作品を生み出し、「東京都江戸東京博物館」(1992)や「九州国立博物館」(2004)といった大作も実現した。

菊竹が提唱した「か・かた・かたち」の三段階の設計理論

 本展は、菊竹と山陰の深い関係にも着目する。松江市に博物館を建設する計画を進めていた後の島根県知事・第23代田部長右衛門は、久留米市の「石橋美術館」を視察し、博物館の設計を菊竹に依頼することを決心。57年に島根に招かれた菊竹は、出雲大社に案内され、本殿の壮大な建築に強い印象を受けた。その後、知事となった田部長右衛門によって、菊竹は島根県立美術館を含め、島根で多くの建築を設計している。本展では、松江市、出雲市、米子市・境港市、萩市で建設されたされた菊竹による建築も紹介する。

 島根県立美術館初となる建築家の展覧会。菊竹の業績を、菊竹の設計による美術館で振り返ることができる展覧会となる。