ARTISTS

アントニ・タピエス

Antoni Tàpies

 アントニ・タピエスは1923年生まれ、スペイン・バルセロナ出身。バルセロナ大学で法律を学ぶも画家の道に進み、初期はジョアン・ミロやパウル・クレーなどの影響を受ける。48年にシュルレアリストの作家や批評家、芸術家からなる「ダウ・アル・セット(さいころの7の目)」の結成に参加。50年にパリを訪れて「アール・アンフォルメル(不定形の芸術)」の動向を知るいっぽう、パブロ・ピカソとも会う。翌年、「ダウ・アル・セット」が解散。次の展開として素材を注視し、絵画の模索期に入る。

 自身の戦争体験、フランコ独裁政権への抵抗を根幹とするタピエスの作品は、絵具を厚く塗った「壁」を思わせ、キャンバスに布や不用品を貼り付けるほか、指や道具で付けられた落書きのような痕跡があり、「X」の記号は時に拒絶を意味している。土や砂を混ぜ込んだ絵具は深みのある色合いをつくり、生とは何かという問い、絶望や怒りといった感情が表されている。53年にサンパウロ・ビエンナーレで優秀賞、58年にはヴェネチア・ビエンナーレでユネスコ賞を受賞。アンフォルメルの若手画家として注目を集めるなか、66年に反フランコ政権の活動によって逮捕される。70年代以降はポップ・アートの影響を受けつつ、オブジェクト(物体)について探求し、《覆われた椅子》(1970)など、古い布を使ってものを見えなくする、または包む方法を多用。立体的でありながら、しかしそのほとんどが壁に掛けられ、「絵画」の延長線上にあるこの時期の制作は「アルテ・ポーヴェラ」の動向とも関連づけられる。80年代の作品からは「影」に対する関心がうかがえる。

 90年にスペイン王室からアストゥリアス皇太子賞(芸術部門)を贈られ、同年に若手芸術家を支援する「フンダシオ・アントニ・タピエス(アントニ・タピエス財団)」を設立。日本との関わりとして、タピエス自身の方向性に通じるものがある東洋の文化を深く研究し、岡倉天心の『茶の本』を愛読。75年には詩人・瀧口修造との詩画集『物質のまなざし』を共作する。90年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞、96年に回顧展が丸亀市猪熊弦一郎現代美術館ほか日本各地を巡回。2005年に原美術館(東京)で「タピエス─スペインの巨人 熱き絵画の挑戦」が開催された。12年没。