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黒田清輝

Seiki Kuroda

 黒田清輝は1866(慶應2)年、鹿児島県鹿児島市高見馬場に生まれる。5歳で伯父・黒田清綱(後に子爵)の養嗣子となり、翌年上京。10代で英仏語を学び、また一時期は狩野派の画家より日本画を、高橋由一門下の画家より鉛筆画・水彩画を学んでいる。84(明治17)年、法律を学ぶためにフランスへ留学するが、次第に画家を志すようになる。周囲の勧めもあり、21歳のときに画学に専念することを決意。ヨーロッパを周遊しながら油彩画の制作を続け、91年、フランス芸術家協会のサロンに出品した《読書》(1891)が入選を果たす。

 93年、帰国。翌年、久米桂一郎とともに洋画研究所天真道場を開設し、96年、30歳のときに白馬会を結成。ラファエル・コランに学び、明るい外光表現を取り入れた黒田の絵画は、それまでの日本の洋画との比較から「外光派」「新派」「紫派」などと呼ばれた。日本における油彩表現を模索するなかで、代表作《湖畔》(1897)や《智・感・情》(1897)が生まれる。98年、東京美術学校の教授に就任した頃から、黒田の活動は美術教育者、美術行政官としての側面が強くなる。1920(大正9)年、貴族院議員に就任。22年、帝国美術院(現・日本芸術院)院長に就任。24年没。

 黒田の遺志により、遺産の一部をもって30(昭和5)年に開設された帝国美術院附属美術研究所は、現在も東京文化財研究所として、有形・無形の文化財の研究・保存に努めている。