櫛野展正連載:アウトサイドの隣人たち ⑧家族をつなぐ壁新聞

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたキュレーター・櫛野展正。現在、ギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちにインタビューし、その内面に迫る連載の第8回は、40年以上にわたって一家の出来事を新聞にしている山田義廣・トヨ子夫妻を紹介する。

『家族新聞だんらん』を広げる山田義廣・トヨ子夫妻
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北海道の中央西部に位置する恵庭市。札幌市街と新千歳空港のほぼ中間に位置し、札幌市のベッドタウンとして発展してきた都市のひとつだ。この街に住む山田義廣・トヨ子さん夫妻は、40年以上にわたって、家族のために新聞を発行し続けている。その名は『家族新聞だんらん』。書かれている内容は、子どもたちの学校での出来事や家のリフォームなど、家庭のこと。タイトルの通りプライベートの話題がほとんどで一瞬覗き見ることを躊躇してしまうが、伝わってくる温もりと生き様が、その魅力だ。

『家族新聞だんらん』の紙面。コンサートに行ったこと、部活動のことなど、家族の近況が書かれている

山田義廣さんは、現在83歳。北海道西部にある増毛町にある漁師の家で生まれた。20歳のときから2年間、小学校の教員として働いたあと、恵庭市で陸上自衛隊に勤務。人事部の幹部として、定年まで務めた。いっぽう、3歳年下の妻・トヨ子さんは、新潟県岩船郡瀬波町(現在の新潟県村上市)で8人兄弟の7番目として生まれた。「家は貧乏だったけれど、家族は仲がよかったです」と当時を振り返る。1954年に北海道を襲った洞爺丸台風の倒木被害で、札幌営林局恵庭営林署(現在の森林管理署)が職員を募集することになり、当時18歳だった彼女は応募。就職難の時代だったが無事に採用され、恵庭市に移住して60歳まで勤務した。

2人が出会ったのは、俳句などをつくる趣味の会でのこと。すぐに意気投合し、義廣さんが27歳、トヨ子さんが24 歳のときに結婚、3人の子どもを授かった。夫婦共働きだったため、子どもたちとのすれ違いを危惧したトヨ子さんは、家族に新聞づくりを提案。夫と子どもの同意を得て、1975年12月に手づくりの『家族新聞だんらん』を発行した。長女の和子さんが中学1年生、長男の広一さんが小学校6年生、次男の正人さんが1歳のときのことだった。

掲出を終え、束にされた『家族新聞だんらん』の1〜200号。1975年から発行されており、年季を感じさせる

週に1回のペースで新聞は発行。幼かった正人さん以外の4人が順番に執筆を担当し、新聞の内容やレイアウトは執筆者に一任された。昔の号を見ると、義廣さんの担当した新聞は紙面を埋めるためにその大半を家族の予定表が占めているのに対して、子どもたちはイラストを描いたり、トヨ子さんは時事ネタを枠外に盛り込んだりと、実に様々。発行した新聞は台所にある小さな黒板に押しピンで留め、みなで閲覧した。食事のときに、新聞に書いた内容が話題になることも多かったという。掲出を終えた新聞は束にして、押し入れで大事に保管した。

1981年5月に和子さんが就職で家を離れることになったが、山田さん夫妻は『家族新聞だんらん』をやめなかった。以後は月に1度の発行になったものの、夫婦で執筆を続け、家を離れていった子どもたちのために、新聞をコピーして送り続けた。「新聞のネタに」と和子さんや広一さんが記事を提供することも多かったという。

やがて子どもたちは成人を迎え、結婚。山田さん夫妻には7人の孫ができた。『家族新聞だんらん』は1号も欠かすことなく発行され、2014年2月には700号を突破。記念の号は、特集号として通常のものとは別に発行することもあるそうだ。「記事が尽きることはありません。むしろ、どれをトップ記事にするか困っているくらい」とトヨ子さんが話すように、総勢15人となった一家の話題は多い。過去には、バトミントンで世界選手権に出場した孫を追いかけて台湾に行き、現地取材を行ったこともあるという。数年前からは、トヨ子さんの提案で「私の現況」というコーナーが始まった。正月に子どもや孫など一家が集まった際にくじ引きをして、そのなかの12人がひと月ずつ、自らの近況を紹介する連載だ。

『家族新聞だんらん』の600号記念号。新しく一家に加わった孫の写真が掲載されている

最初は簡素だった紙面も、いつの間にか写真やカラフルな文字で鮮やかになった。当初家族で分担して書いていた記事は、編集長であるトヨ子さんが中心に書くようになった。夫の義廣さんは、紙面に貼る写真を縮小コピーするためにコンビニに行ったり、書かれた記事に間違いがないか校正をしたりと、補佐役に徹している。だが、山田さん夫妻を取り巻く家族の話題が中心ということは、いまも変わらない。トヨ子さんは、「何か記事のネタはないですか。あったら送ってください」と子どもたち三家族に、月に一度は電話をかけている。

トヨ子さんは、この40年を振り返って「成長していくなかで子どもがどんなことを考えているのか、親はわからないんですよね。だから、みんなで回し読みができる新聞を始めたのですが、子どもたちは一切記事には悩みを書いてくれませんでした」と笑って語る。

1977年11月に100号目を発行して地元の新聞に取り上げられたとき、「周囲からの反響が大きくて、ああ、こんなに大きく新聞に取り上げられることは普通じゃないんだ。この新聞をつくっているうちの家族は、仲がいいんだ」と、娘の和子さんは気づいたという。

『家族新聞だんらん』に、特別に優れた表現はない。ただ、畳の上に並べられた約40年分の分厚い紙の束が、僕のこころを刺激する。そっと目を閉じると、メールやSNS、チャットなどといった薄っぺらいコミュニケーションツールに頼りきった僕らが忘れてしまった、「一家団欒」のかたちが想起されるからだ。そして、こうして記事を書いているいまも、山田家の台所には40年分のピン跡がついた黒板に、また新しい新聞が貼られている。

台所には、取材当日も『家族新聞だんらん』がかかっていた。黒板には、体調を思いやる一言が書かれている

PROFILE

くしの・のぶまさ 「クシノテラス」キュレーター。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、「鞆の津ミュージアム」(広島) でキュレーターを担当。16年4月よりアウトサイダーアート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。

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