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2016.6.1

パノラマで描く都市と自然の無境界。
椹木野衣が見た、青島千穂個展

グラフィックデザインソフトのIllustratorを使ったイラストレーション、アニメーション、彫刻といった幅広い方法で、独特の世界観を描き出してきた青島千穂。自然災害や都市の風景をモチーフに、彼女の表現が新たな展開を見せた京都カイカイキキ ポップアップギャラリーでの個展を、椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

高天原 2015 アニメによる壁画、3Dサウンドスケープ(マルチプロジェクター、スピーカー) 7分 288.1×1952.5cm
Courtesy Kaikai Kiki Gallery
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椹木野衣 月評第94回 産み出された無境世界 青島千穂「REBIRTH OF THE WORLD」展

 久しく目にしていなかった青島千穂の作品が気に留まったのは、横浜美術館で開かれた「村上隆のスーパーフラット・コレクション」展でのことだった。この展覧会は物量もさることながら、それまでほとんど有効に活用されてこなかったこの美術館の巨大なエントランス・ホールが、初めて見栄えのある展示空間として姿を現したことでも注目された。なかでも私が目を惹かれたのは、ホールの最も高い部分にはめ込まれるように展示された、青島によるパノラマ状の映像インスタレーション《光る都市》(2005)だった。それは周囲の「みなとみらい」とも呼応して、たんに展示物であることを超えて、館内に甚大と言ってよいスケール感を引き込んでいた。

 カイカイキキでデビューした青島は、もともと絵の教育はまったく受けていない。オフィスのコンピュータでイラストを描くことから出発した当初の作品も、彼女ならではの感性を小さな枠の中に封じ込めた、ささやかなものが多かった。ところがあるときから、ほとんどパノラマと呼んでいい、非常に大きなスケールの作品を手がけるようになっていく。横浜で私が見たのも、その延長線上に、青島の世界観がさらに壁画クラスの動画に仕立て上げられたものだった。

《高天原》の展示風景 撮影=緒方一貴

 一貫して描かれているのは、都市と自然の無境界にほからない。彼女にとっては、地球という天体に包含される以上、両者は基本的に同じものの別の側面にすぎない。その住人である人間も同様だ。私たちは、都市を歩いていたはずがいつのまにか墓場を徘徊し、熟した果実の一部となり、幽霊とも友だちになる。青島の世界の中で両者は一体なのである。超高層ビルと墓碑がまったく同等に扱われているように。

 この意味で、青島が動画を使うことで得ようとしていたのが「ムーヴィー」でないことは明らかだ。彼女は都市と自然、人間と死者がたがいに「モーフィング」する世界をこそ求めている。絵が次第にパノラマサイズになっていったのは、その移ろいを表すための空間的な余白が必要だったからで、動画を採用したのは、さらにそこに時間軸を導入できるからだろう。立体感のある音響効果がこれに拍車をかけている。

マグマ魂爆発。津波は恐いよ。2004 クロモジェニック・プリント 87.1×589cm
Courtesy Blum & Poe, Los Angeles / Galerie Perrotin / KaiKai Kiki Gallery

 こうした青島の世界観は、意外にも国内では今回が初という個展に出された新作《高天原》(201 5、初出は同年のシアトル・アジア美術館での個展)で、かつてない完成度に達している。陸側の高層ビル群と海側の火山が、東日本大震災後の日本を思わせる噴火や大津波によって引き起こされる災害を通じて応答しながら、破壊されるのでもなく復興するのでもなく、次第にどちらがどちらともつかないまま生と死を超えた透明な能産性を形づくっていくさまは、さながらJ・G・バラードの『夢幻会社(The Uulimited Dream Company)』を思わせる。

 もっとも、自然災害を生命の淘汰ではなく異様な繁茂へとつなげる伏線となるヴィジョンを、青島はすでに《マグマ魂爆発。津波は恐いよ。》で獲得していた。東日本大震災の3年前に描かれたこの作品を通じて当時、いったい誰が今日の日本を想像しただろう。本展が東の大震災からちょうど5年が経過した3月11日に開いたのは、そのことを見る者に端的に問いかけてくる。

『美術手帖』2016年6月号「REWIEWS 01」より)