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櫛野展正連載:アウトサイドの隣人たち ⑤時代を集めた男

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会をキュレーターとして扱ってきた櫛野展正。自身でもギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。櫛野による連載企画「アウトサイドの隣人たち」第5回は、時代の面影を残した品々を蒐集し展示する、坂一敬(さか・かずたか)さんを紹介する。

坂一敬館長が管理する「レトロスペース・坂会館」には、紐で縛られた人形など様々なものが並び、来場客を驚かせている

北海道の札幌市西区にある私設博物館「レトロスペース・坂会館」。ここには、昭和30年代、40年代のものを中心に、一升瓶のラベルやマッチ箱、オモチャなど数万点におよぶ昔懐かしの品が、所狭しと並べられている。

「ここにあるのは、昔はどの家庭にもあったような一般的なものばかり。ごく普通のものってさ、5年もしないうちになくなってしまいがちだからね。だから保管するんだ」。そう話すのは、今年で72歳になる館長の坂一敬(さか・かずたか)さんだ。

坂会館には、昭和の趣きを残す品々が並べられている

坂さんは3人兄弟の長男として、1944年、北海道上川郡上士別村(現・土別市)に生まれた。上士別村の村長だった彼の父親は、太平洋戦争の戦時中に軍からの召集令を受け、千島(ロシア語ではクリル)列島最東端の「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」に参加。物資を確保する輜重兵(しちょうへい)として小樽まで買い出しに行っているときにちょうど終戦を迎え、無事に帰還することができたそうだ。その父親が30歳を過ぎて地元で始めたのが、「坂栄養食品」というビスケットで知られる菓子工場だった。「祖父が馬鈴薯からでんぷんをつくっていたので、製造の下準備はもとからできていた」と坂さんは語る。戦後は食べるものも少なかったため、店は繁盛したようだ。

いっぽう、坂さんは18歳で上京し明治大学文学部に進学した。時代は安保闘争の前後。文学部から法学部に入り直し、在学中から学生運動に参画した。「当時は月に1万8000円くらいあれば東京で暮らしていける時代だからね。生活費はパチンコで稼いでいた」と、都内で定職に就くことはなかった。40歳になった頃、父親が体調不良になったため札幌に戻り、会社の仕事を手伝うようになった。

そして平成6(1994)年6月6日に、元レストランの一階部分を改装し「レトロスペース・坂会館」をオープン。開館のきっかけは、マネキン人形だった。ある日、電車の中でシルバーシートに座っていたお婆さんに「電車に乗っている人のなかで、あんたがいちばん年寄りに見えるから座りなさい」と言われ、坂さんは自らの行く末を案じた。そのとき偶然目にしたのが、ゴミ捨て場に捨てられたたくさんのマネキン。「用がなくなれば人間でさえも捨てる国に、日本はなっているんじゃないか」と、自分の将来とマネキンが重なって見えたそうだ。

すぐにマネキンを拾えるだけ拾って帰り、それ以降、廃棄されているものを集め始めた。ちょうどゴミの処分が有料に切り替わり始める時期だったため不用品を捨てる人が多く、戦争を経験した人たちが大事にしていた古い物までが、たくさんゴミとして出されていた。大量消費社会に反旗をひるがえすように、坂さんはそうした品々を持ち帰っては館内で大切に保管するようになった。自分の足で本州や沖縄まで足を運ぶうちに次第にネットワークが生まれ、蒐集を始めてから20年以上経ったいまでは、提供者も現れるようになったという。

札幌市西区にある「レトロスペース・坂会館」の外観

坂会館入口近くの通路にはたくさんの人形が縛られていて、多くの人を驚かせている。「どれも髪が短いし汚れているでしょ。リカちゃん人形やバービー人形を大量にくれる人がいたけど、中古品だから髪の毛が切られていたり、カッターで削られていたりするのが多かった。だからそれを隠すために、知り合いに頼んで縛ってもらったんです。ひどいものは包帯でぐるぐると巻いて、隠しました。人形は滑るから、人間を縛るほうが楽だって彼は言っていたよ」。

館内に陳列された物はどれも、かつては誰かの所有物だった。そうした持ち主のライフストーリーが見え隠れするのが、この館の魅力かもしれない。実際、来館者が物との対話をじっくりと楽しめるよう、坂会館の展示物には解説文がない。

そして、開館以来一貫しているもうひとつの特徴が、入館無料ということだ。「入館料をとる施設は多いけど、ここに来る人たちが金持ちとは限らないし、みんなきにくくなるでしょ。時間が経ったから珍しく感じるけど、ここの物は金をとるほどではないんだよ」と坂さんは謙遜する。「いただいた物も多いから、それを右から左に売るのは道徳に反しているだろう」と、展示品の販売もしていない。そんな坂会館には年間6〜7000人もの来館者が訪れていて、同館の存在意義を立証している。

いっぽうで、これだけの物量を誇るだけあって盗難が絶えないのも事実だ。「いちばんひどかったのは、オリンピックの記念硬貨や明治時代からの古銭がケースごと盗まれたことだね。警察が来て調べたけど犯人がわからなくて、いまだに行方が知れない。でも、監視している環境で見せたくないから、仕様がないなと思ってやっているんだよね」。

汚れや傷を隠すため、と坂が言う人形の縛り方には、異質なものを感じさせる

そんなレトロスペース・坂会館はいま、土地と建物を所有する坂栄養食品との対立で閉館の危機を迎えている。いつどうなってしまうかわからない状態だと坂さんは言う。僕らにできることは、なくなってから「行けばよかった」と嘆くことではなく、まず足を運ぶことだ。「家族のいない独居老人だったから、ここまでできたんです。多くの人と知り合いになれたし、全国にいろんな人がいることを、知ることができました。あなたが来てくれて二人で話をするというのは、普通に生活していたらありえないことだからね」と語る坂さん。ゴミ捨て場でマネキンを見つけたことで彼の蒐集が始まったように、今度はレトロスペース・坂会館の存在がきっかけで、何かに情熱を傾ける人たちがきっと出てくるにちがいない。

写真左から、坂会館副館長の中本尚子、坂館長、筆者

PROFILE
くしの・のぶまさ アール・ブリュット美術館、鞆の津ミュージアムキュレーター、ギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」主宰。2015年12月13日まで開催された鞆の津ミュージアム最後の企画展「障害(仮)」では、「障害者」と健常者の境界について問題提起した。
クシノテラスWEBサイト:http://kushiterra.com/

死刑囚による展覧会がクシノテラスにて開催中

櫛野展正が運営するアートスペース、「クシノテラス」(広島県・福山市)では、4月29日〜8月29日、確定死刑囚による絵画を中心に紹介する「極限芸術2 死刑囚は描く」展を開催。5月29日には、都築響一によるトークイベントも予定されている。詳細は下のバナーより。

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