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ミヤギフトシ連載12:「他者」を迎える場所、舞城王太郎の奇譚を訪ねて

アーティストのミヤギフトシによるブックレビュー連載。第12回では、『淵の王』をはじめとする舞城王太郎の作品群を取り上げ、作品の舞台となる福井を歩きながら、民話的な世界観のなかで人間のかたわらにある存在に思いをめぐらせます。

日野川 撮影=ミヤギフトシ

舞城王太郎『淵の王』ほか
怖い穴と優しい幽霊 ミヤギフトシ

 舞城王太郎作品に物語の舞台としてたびたび登場する福井県西暁町。怪談めいた奇譚、民話のような不可思議な出来事が起こり、姿のない存在や影しかない存在、キメラのようなハイブリッドの生き物がいて、そして時には奇跡が起こる町。その場所に足を運びたいと、西暁を舞台にした作品を読むたびに思いを強めていた。年が明けて、雪が見たくなったこともあり福井に小旅行に出かけた。西暁は架空の町で、実際には存在しない。ネットで調べ、そのモデルとなっているらしい土地を訪ねてみることにした。

東尋坊タワーからの眺め 撮影=ミヤギフトシ
東尋坊、出口 撮影=ミヤギフトシ

 1日目は日本海を見てみたかったので東尋坊を訪ね、2日目、福井からローカル線に揺られ40分ほどで今庄(いまじょう)駅についた。福井市内とは違い町はすっかり雪に覆われている。駅前の小さな宿場町はすぐに途切れ、舞城作品にもよく登場する国道365号線沿いを歩く。雨、ひょう、雪、と天気は刻々と変化する。歩いている人間は僕ぐらいで、車が雪解けの水しぶきを飛ばしながら行き来する。この小学校は、この川、あの山は……と作品を読んで思い浮かべていた風景と目の前の風景を重ねながら歩く。『淵の王』(新潮社、2015年)の物語も、ここ西暁から始まる。

今庄、線路沿い 撮影=ミヤギフトシ

 『淵の王』は「中島さおり」、「堀江果歩」、「中村悟堂」の3編からなる連作だ。タイトルはそれぞれの主人公の名前になっているものの、語り手は彼らではない。彼らに寄り添う実体のない存在が、あなた、君、あんた、と呼びかける二人称の語りが進む。主人公らはその存在に気づかないけど(二人称の語りは相手に届かない)、語り手は彼らに寄り添い、そして長い年月を過ごしたなかで程度の差はあれ愛情を抱いている。語り手には、主人公に見えないものが見えたりする。東京の大学に進学したものの、言動がおかしくなった高校時代の旧友を心配して福井に戻った中島さおりが、乗り込んだアパートの部屋で何かに憑かれた凶暴な赤ちゃんに襲われている際、語り手は窓辺に佇む黒い影を見つける。語り手にしか見えない、人型の影。その影に、語り手はガリガリと食べられてしまう。

私は存在しない生命を失い、存在しない存在を失い、その謎の闇の中で無くなる。でも、完全に失われる前に、私が私としてあった証みたいにして、一つ感情が残る。悔しい。(中略)だってどんな愛情だって、伝えられないこと以上の不幸ってないでしょう? 舞城王太郎『淵の王』(新潮社、2015年)

 第2章の語り手は、1章とは違い堀江果歩が闇にバリバリ食われてしまう様子を見て怒り狂う。しかし、果歩=宿主がいなくなったために、その存在は消失してしまう。最後まで残った感情は、怒り。第3章の語り手は、「チンチン主義でキンタマの世話しかしないクズ裸ん坊野郎」である中村悟堂を軽蔑しているものの、最後には悟堂とともに闇に食われながらも、ともに奇跡を起こす。語り手たちは、まるで霊のように主人公たちに寄り添い、でも霊にしてはとても感情豊かだ。彼らは笑い(高校時代に中島さおりがなんの脈略もなく「私は光の道を歩まなければならない」と呟いたとき、語り手はその真意を測りかねて爆笑する)、怒り狂い、そして愛することを知っている。そばにいるだけで、相手の心を読むことはできない。でも、それぞれの方法で、主人公とともに穴/影と対峙する。

今庄のトンネル 撮影=ミヤギフトシ

 舞城作品には、様々な穴や影が登場する。『獣の樹』(講談社、2010年)の主人公、成雄が生まれた牧場の地下空間へと続く穴、『熊の場所』(講談社、2006年)のまー君が立ち向かった枯れ井戸、『深夜百太郎』(ナナロク社、2015年)のぺらぺらの影であるシオリちゃん、デビュー作『煙か土か食い物』(講談社、2001年)で主人公の祖父が首を吊り、閉じ込められたまま兄が消失した正三角形の蔵。その暗がりの中に、何者かがいる。もしくはそこで/それに対峙して、人が消える。

 『熊の場所』で主人公は、その恐怖が現前する場所を「熊の場所」、と呼ぶ。主人公の友人まー君は猫殺しを日常的に行いながら、人間離れした超人的なサッカー能力や動物との交信能力のようなものを持つ。それでも、穴に負けてしまう。

まー君だって熊の場所に戻ったのだ。(中略)まー君は負けたのだ。勝ち負けの結果予想はともかく、まー君も戻らざるをえなかったのだろう。だって誰でも、自分に恐怖を与えている場所にちゃんと戻らないと、恐怖は一生ついて回るからだ。舞城王太郎『熊の場所』(講談社、2006年)

 闇、影、穴、人間に寄り添う霊もしくは獣のような存在、光。それは最近見たアピチャッポン・ウィーラセタクンの東京都写真美術館(恵比寿)での個展「亡霊たち」や彼の映画作品にもよく登場する要素だ。例えば『ブンミおじさんの森』(2010年)の幽霊や、猿のおばけ。ふたりの現代的怪談・奇譚は、子どもの頃に僕が恐怖を抱いていた沖縄の穴・影とまったく異質ながらも、何か通底するものを持っているような気がしていた。

 幼い頃聞かされた熱帯特有の民話、海の向こうからやってくる神のこと。免許取りたての兄が深夜のドライブから帰ってきたら様子がおかしくて、祖母が「魂を落とした」と騒いでいたこともあった。夜、お墓のそばを通るときは、絶対に目を開けてはいけない。また、お化け話のいくつかは戦争に起因するものもあったはず。子どもの僕は、真っ暗な島の夜に何かが起こりそうな気配を感じていた。山や村の小径は、信じられないほどに暗くなる。

今庄に戻るタクシーから 撮影=ミヤギフトシ
今庄の街並み 撮影=ミヤギフトシ

 寒さと冷たく濡れたスニーカーに歩く気を失い、駅前のタクシー会社に案内をお願いすることにした。宿場町を抜けて、山の方に走ってもらう。四国八十八ヶ所のような(けれどもかなり小規模な)八十八ヶ所弘法寺が山の上にあること、宿場町だからか様々な宗派の寺や神社が多いこと、そこにある新羅神社や山の上にある白髭神社(舞城作品では「黒髭神社」がときどき登場する)は大陸から渡来した人々によって建てられ、いまも韓国から参拝客が訪ねてくる。太平洋側に住んでいるとなかなか気づかないけれど、大陸は意外と近く、この土地も古来から大陸文化と接してきたのだ、と今さらながら思い当たる。そういえば、太平洋側にときどき現れたり漂着したりしたのは、キリスト教のパードレ(神父)を乗せた船やヨーロッパからの商船、そして黒船といった遠い他者だ。

山頂の鉄塔 撮影=ミヤギフトシ

 山の方へと進むと、近くにあるという夜叉ヶ池の伝説を教えてくれた。雨乞いのために池に住む大蛇に捧げられた娘。毎年お盆の時期に口紅などの化粧品をお盆に乗せて池に浮かべると、池の中心まで運ばれ沈んでいく……。そのような民話も、北陸の山中だとすんなりと入ってくる。山道を縫うように薄暗い吹雪の森をタクシーは進む。このまま異世界に迷い込んでしまう……なんてことはもちろんなくて、ちょうど電車の時間にタクシーは駅に戻った。

 小さな群島として異文化に接してきた沖縄、メコン川を挟んでカンボジアやラオスと接しバンコクからも文化的・地理的に遮断されてきたというタイ東北部。アピチャッポン・ウィーラセタクン「亡霊たち」展カタログに掲載の四方田犬彦「アピチャッポンと歴史の顕現」によれば、タイ東北部イサーン地方はまた、ベトナム戦争時代にアメリカ空軍基地がつくられた場所で、その後は反政府勢力の若者たちの拠点となり、中央から派遣された国軍兵士による破壊行為を受けた場所でもあるそうだ。そして、海を隔てた向こう側の他者と接してきた境界線上の土地で生まれる雪国の物語……なんていうと大げさかもしれないけれど、舞城作品は確かに僕がかつて島の闇夜の向こうに想像した蠢きのようなものを、的確に表現しているような気がする。そういえば生まれ育った島は東シナ海にあって、琉球王朝時代に大陸や南方との貿易の寄港地だった場所だ。そんな場所から「海の向こう」のアメリカを夢見ていたのもよく考えたら変な話だ、島の西には沖縄本島が横たわっている……。

国道365号線沿いの森 撮影=ミヤギフトシ

 西暁と東京・調布市を舞台にした掌編の怪談100話が交互に続く『深夜百太郎』、特に印象が強く、そして『淵の王』ともつながるのが36話目「横内さん」だ。高校生の主人公はクラスのちょっと変わった女の子、横内さんに恋をする。ある日、彼女から森で迷っているという連絡があり、夜が迫る西暁の森の中を主人公は自転車で探しまわる。そこへ、横内さんからの電話。私、家にいるしさっき電話なんかしていない。そこで主人公は、森の中でこちらを見ている薄っぺらな黒い影、シオリちゃんに気づく。横内さんにつきまとっているという影。夜の森、目をつぶり主人公は耐える。でも、負けてしまう。

ごめん。僕の力が弱くて。馬鹿で。悔しいけど、時間というものに騙されてしまった。頭もまた溶けていて、信じることはできていたのに、疑うことを忘れてしまっていたのだ。 舞城王太郎『深夜百太郎 入口』(ナナロク社、2015年)

 それでも、死んでなお主人公はまだ横内さんが好きで、森に消えた主人公のことをずっと探し続けた彼女にありがとうと言う。伝わることのないありがとう。もしかしたら、その感情が長い時を経て歪み怪談を生んでしまうのかもしれない(「だってどんな愛情だって、伝えられないこと以上の不幸ってないでしょう?」)。それでも、舞城世界において、幽霊は時にとても優しい。

今庄駅近くにて 撮影=ミヤギフトシ
今庄駅 撮影=ミヤギフトシ

 闇、光、幽霊、海の向こうから現れる何ものか。優しい他者と、恐ろしい他者。大人になって忘れかけて、しかしながら僕のナラティヴの起源として確かに存在しているそれらの語りについて、舞城王太郎(やアピチャッポン)の作品に触れるたび、思い出す。そんなことを考えながら福井市に戻るため駅の階段を上がり、何気なく振り返ったときに目に入った「お帰り/出口・EXIT/なさい」に思わずどきりとしてしまうほどには、舞城世界から抜け出せずにいるようだ。

電車の車窓から 撮影=ミヤギフトシ

PROFILE
みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷である沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアート プロジェクト「American Boyfriend」などを展開。近年の展覧会に、「他人の時間」(2015年、東京都現代美術館ほか)「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(2016年、森美術館)、「蜘蛛の糸」(2016年、豊田市美術館)など。
http://fmiyagi.com

information

著者:舞城王太郎
出版社:新潮社
刊行:2015年5月29日
価格:1500円+税
URL:http://www.shinchosha.co.jp/book/458007/

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