2017.8.10

「ヨコハマトリエンナーレ2017」がついに開幕。38組のアーティストが見せる世界の「孤立」と「接続」とは?

2001年に始まり、今年で6回目を迎える「横浜トリエンナーレ」が8月4日、ついに開幕した。「島と星座とガラパゴス」をテーマに掲げる今回、38組と1のプロジェクトは何を訴えかけるのか? アーティストのインタビューを含めてその内容をレポートする。(写真はすべてヨコハマトリエンナーレ2017展示風景)

アイ・ウェイウェイ(艾未未)の《安全な通行》(2016)と《Reframe》(2016) ©Ai Weiwei Studio
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 2001年に始まり、日本を代表する国際展として継続してきた「横浜トリエンナーレ」が6回目の開催を迎えた。アーティストのスプツニ子!らによる「構想会議」を設置し、横浜美術館館長・逢坂恵理子、同館副館長・柏木智雄、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター・三木あき子の3名が「ディレクターズ」として携わるなど、これまでにない構造の変化が見られる今回。参加アーティストの数も約40組と過去最少に抑えるなど、数々の国際展(芸術祭)が濫立する現代において、他とは違う姿勢を見せようとしている。

 開幕に先立つ記者会見で、逢坂館長は「変化が速く、SNSによる新しい断絶、孤独が生まれている時代において、一人ひとりがクリエイティブであるとはどういうことか考えるきっかけになれば」とコメント。三木ディレクターは「いまは複数の声が共鳴する時代で、他分野や社会との繋がりが重要だからこそディレクターズという体制になった」とその背景に触れながら、展示については「小さな個展の集合体で、テーマ分けなどはしていません。展示の間を回り、流動性や多面性、世界の複雑さを感じてほしい」と語っている。

記者会見に登壇したアーティストたち。右が逢坂恵理子

 ではその「孤立」や「接続」は実際にどのようなかたちとなって展示されているのか。会場を見ていこう。

 メイン会場である横浜美術館で、まず来場者の目に飛び込んでくるのはアイ・ウェイウェイ(艾未未)の巨大な2つのインスタレーション《安全な通行》(2016)と《Reframe》(2016)だ。これらは、難民が実際に使用したライフジャケットや救命ボートで構成されており、近年難民問題に目を向けているアイの意欲作。祝祭的なトリエンナーレに、いきなり現実を突きつけるかのようなこの演出は、果たして来場者にどのような印象を与えるだろうか。

アイ・ウェイウェイ(艾未未)の《安全な通行》(2016)と《Reframe》(2016) ©Ai Weiwei Studio

 また、横浜美術館の正面には1台の白いトラックが停まっているのに気がつくだろう。これはイギリスのアーティスト、アレックス・ハートリーによる架空の独立国家を立ち上げるプロジェクト「Nowhereisland(どこにもない島/ここが国土)」の移動式大使館《The Nowhere Embassy(どこでもない大使館)》だ。アレックスは北極圏で地図にない島を発見したことをきっかけにこのプロジェクトを始動。実際の島の断片の岩や、架空の国家の憲法案などを通し、国家とは、国土とは何かという問いに思いを巡らす場を提供する。会期中の土日祝には実際に入国審査を受けることもできる(時間11:00〜12:00、13:00〜15:00)。

アレックス・ハートリー どこでもない大使館 2017

 美術館に入ると、巨大な竹でできた構造物が眼前に迫ってくる。インドネシアのジョコ・アヴィアントによる《善と悪の境界はひどく縮れている》だ。2010年から竹を使った大規模なインスタレーションを手がけているアヴィアント。インドネシアでも多く見られる竹は「いまは芸術の素材としては使われない」としながらも、その脆弱な耐久性を逆手に取り、「一時性を示す、あるいはとらえるために使っています」と話す。

 日本のしめ縄にヒントを得たという本作についてアヴィアントはこう話す。「しめ縄が神社にかかっていると、雲が山にたなびいているようです。インドネシアの宗教信仰はムスリムですが、ぶつかりあいが多く、宗教を語るのは難しい。今回はしめ縄を聖なるものにしないために、『地』に接触させました。インドネシアでは2004年のスマトラ島沖地震で多くの文化、言語が失われ、都市では農業から工業への移行が進んでいます。これまでとは違う社会に対する一つの提示にしたかった」。

ジョコ・アヴィアント 善と悪の境界はひどく縮れている 2017

 現代中国の問題に真っ向から立ち向かう作品を制作している中国のザオ・ザオ(赵赵)が見せるのは3つの作品。中国とウイグルとの間でたびたび起こる民族問題の舞台となる「タクラマカン砂漠」をテーマにした《プロジェクト・タクラマカン》(2016)では、冷蔵庫を運ぶ人々の映像が流される。「冷蔵庫の2つの扉=門を開ける、そして光が灯るというビジュアルが効果的だし、砂漠なのに冷蔵庫があるという不気味さ、あるいは誰が見てもおかしなものとわかる違和感を演出したかった」と話すザオ・ザオ。かつてのシルクロードの歴史や、中国による開発が続くなかで孤立を深めるウイグル地区の状況を示唆している。

ザオ・ザオ プロジェクト・タクラマカン 2016

 新疆ウイグル自治区に生まれ育った彼は、「タクラマカンはウイグル族の言葉で『死の海』を意味する。入ったら出てこられない、重い意味合いがある。自分がウイグルに住んでいなければ生まれなかった作品」と語る。いまも中国に住む彼が、政治的な作品をつくる危険性について聞くと、「危険だけど回避できないトピックです。誰もが新疆をテーマに作品をつくれるわけではないし、私は『アート』を通して新疆の現実を伝えられる特別な立場。使命感もある」と言う。「『島と星座とガラパゴス』というタイトルは僕のためにあるような気がする」と強く断言した。

インタビューに答えるザオ・ザオ

 歴史的な出来事や、文学に則した映像作品を手がけるエジプトのワエル・シャウキーは、円形展示場を劇場にように変化させ、操り人形による芝居を映像にした三部作《十字軍芝居:聖地カルバラーの秘密》(2016)を見せる。アレクサンドリアとメッカで子供時代過ごし、厳格なイスラム教の教育を受けてきたシャウキー。操り人形を使うことで「マニュピュレーション」(操作されていること)を典型的に表しているという。

 「登場人物はすべて操作されています。また、ガラスを使ってつくった人形は、人間の脆弱さを意味する。私は歴史の流れに興味があります。過去に起きたことは、私たちが思う以上にその後の出来事に影響を及ぼしている。人類の歴史は、欲望にかられて権力を獲得してきた歴史。その歴史の流れは、絵や彫刻では表せません」。

ワエル・シャウキー《十字軍芝居:聖地カルバラーの秘密》(2015)より
ワエル・シャウキー《十字軍芝居:聖地カルバラーの秘密》(2015)で使用された操り人形たち
ワエル・シャウキー

 建築的な大型作品など、立体的な構造物によるインスタレーションなどで知られるサム・デュラントだが、本展では「日露戦争」や「ペリー来航」など、日本にまつわる歴史的事件を扱った作品を見せる。「ペリーが日本の文明に夜明けをもたらし、その後、日本は中国とロシアとの戦争に勝った。これは世界的にも歴史的に重要なことです。私はペリーに随行していたヴィルヘルム・ハイネという芸術家を知り、帝国主義と国際政治を語る一環として、芸術の重要性があることに気づいた」。これが日本の歴史を掘り下げる作品につながっているのだという。

 「今回は近作のほかに二つの新作を追加しています。一つは桜の木とドラムで構成した《ある時点、遥かかなたの別時点》(2017)。桜の木は日露戦争後、日本からアメリカへ贈られた桜を、太鼓は発展のありようを表しています。もう一つの《提督の夢》(2017)は黒船のかたちをした船の模型が、現代のコンテナ船の上に乗っている。これは、開国をせまったペリー提督の黒船から、グローバル化した現代への道筋です」。以前からグローバル化をとらえようとしてきたと話すデュラント。本展では、横浜美術館所蔵の同時代の作品もあわせて展示することで、折り重なっている歴史を提示している。

サム・デュラントの展示風景。中央が新作の《ある時点、遥かかなたの別時点》(2017)
サム・デュラント 提督の夢 2017
サム・デュラント

 20年以上にわたり、デュオで活動しているアダム・ブルームバーグ&オリバー・チャナリンが提示するのは、一見それとはわからないが、ジャーナリスティックな要素を秘めた作品の数々だ。写真作品《帰還、2008年6月16日》(2008)は、二人がアフガニスタンに配備されたイギリス陸軍に記者として従軍した際に制作したもの。「我々はジャーナリストであり、アーティストではないという立場(軍に組み込まれるようなかたち)で従軍しました。従軍ジャーナリストはコントロールされやすく、軍に感化されることもある。そこでどんなイメージを伝えるかを考えた。写真を撮らず、その代わりに感光紙を持っていき、写真を撮りたくなったらそれを太陽にさらしました。そのプロセス自体が作品であるとも言えます。見る人に、戦争写真に何を期待するかを問いかけたかったのです」。オリバー・チャナリンはそう語る。

 また、今回のテーマ「島と星座とガラパゴス」については、現在のSNSがもたらす状況との関連性を考えたという。「アメリカ大統領選でドナルド・トランプのツイートがヒラリー・クリントンの3倍もリツイートされたことがありました。その理由は、SNSでは簡単で極端な方が受けがいいから。とてつもない破天荒なものほど回覧され、複雑な考え方は回覧されない。テクノロジーによって、みんなつながっているという幻想を持っていますが、本質は孤立をより深めているのではないでしょうか。我々は写真家として、SNSなどの媒体とともに、どんな経済性で写真が広がっていくのかを考えないといけない。写真は画像ですが、ある価値を示す『貨幣』のようなもの。世界中に画像が流通している在り方は、我々をつなげると同時に、偏見も強めてしまう。それは今回のテーマにもつながっています」。

ブルームバーグ&チャナリンの展示風景。奥が《帰還、2008年6月16日》(2008)、手前が《フロイトの長椅子の残存繊維を石英楔型検板を用いて観察した際の干渉縞》(2015)
オリバー・チャナリン

 オラファー・エリアソンは、これまで世界各地で難民や地元民、観客などを巻き込みながら行ってきた「Green Light−アーティスティック・ワークショップ」を展開。立場の異なる人々がともにランプを組み立てることで交流し、深刻化する移民・難民などの現代社会の課題について身近な視点から考える場をつくり出す。エリアソンは、「相互に知識や学びを与え合う」ものであるこのワークショップを通し「『we-ness(私たち感)』について語ることが重要」と話す。また今回は、高級ファッションブランドと協力してエチオピアの孤児院救済のために制作した作品《Eye see you》(2006)もあわせて展示。異なる組織や人を繋げながら社会問題への実践を行うエリアソンの活動を「光」にまつわる作品を通して紹介している。

オラファー・エリアソン「Green light – アーティスティック・ワークショップ」の展示風景

 グローバルに活躍した歴史上の人物を題材に、事実とフィクションを重ね合わせ物語を構築する「帰って来た」シリーズを制作している小沢剛。今回は横浜赤レンガ倉庫会場で、明治から大正初期に活動した横浜出身の思想家・岡倉天心(本名・覚三)の足跡をたどる。小沢は、岡倉ゆかりの地であるインドのコルカタを訪ね、そこでの様々な出会いや対話、ハプニングなどを素材に作品を立ち上げた。小沢が岡倉の経歴から着想して書いた詩を軸に、現地の職人と音楽家に依頼して制作された看板絵と音楽、映像で構成されるインスタレーションを通し、岡倉の目に映る現在および近未来の世界について考える。

小沢剛《帰って来たK.T.O.》(2017)。映画館のように絵画と映像が構成されている

 赤レンガでもう一つ注目したいのはChim↑Pomの発案により福島県の原発事故による帰還困難区域の内外で展開されているプロジェクト「Don’t Follow the Wind」のスペースだ。ユニークな被り物が目を引く展示室。これらの被り物は、VRで360度の映像が見られるヘッドセットになっており、立ち入り制限区域内にある「Don’t Follow the Wind」の作品展示会場や、原発の近海の様子などを擬似体験できる。被り物は福島県に住むある3世代の家族が制作したもので、変化してゆく震災後の生活にまつわるそれぞれの個人的な物語が表現されている。このサテライト展示は、シドニー・ビエンナーレをはじめ世界各国で行われてきたが、日本での公開は今回が初となる。

 展示室は、立入制限された場所を想起させる草が絡み合う柄の壁紙で取り囲まれている。これは、エヴァ&フランコ・マッテスが帰還困難区域内で撮影した写真をもとに制作したフリー素材集《フクシマ・テクスチャー・パック》を用いたもの。福島由来の素材を、世界中の建築家やデザイナー、ソフトウェア開発者などが利用することで、区域外にそのイメージが再生される。

Don't Follow the Wind《ウォーク・イン・フクシマ》(2016-2017)。壁紙は《フクシマ・テクスチャー・パック byエヴァ・アンド・フランコ・マッテス》(2017)。

 あえて一人のアーティスティック・ディレクターを置かず、複数人による合議制で進められてきた本展は、その制度自体が「一人の大きな声による簡単でわかりやすい意見ほど受け入れられ、拡散される」という現代社会の構造に対するアンチテーゼとなっているとも言える。チャナリンが言うように、インターネットやSNSによって、ある種のつながりや連帯感がもたらされながら、いっぽうで深い断絶も浮き彫りにされているこの時代。「ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス」は、国内外の複数の視線を通して、世界の「孤立」や「接続性」の状況について様々な角度から考察する機会を生み出している。