合法と違法の線引はどこに? 現代美術のアプロプリエーション

現代美術の手法のひとつ「アプロプリエーション」は、過去の他者の作品の一部または全部を自身の作品に取り込むものとして、様々なアーティストたちが実践してきた。しかしアプロプリエーションをめぐっては裁判沙汰に発展するケースもある。そこで今回は過去の判例を紹介し、時代とともに変わるアプロプリエーションの受容のされ方を紐解く。

文=木村剛大

アンディ・ウォーホル 花 1964 出典=クリスティーズ・ウェブサイト (https://www.christies.com/lotfinder/Lot/andy-warhol-1928-1987-flowers-6141800-details.aspx)
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 1964年11月にニューヨークのレオ・キャステリ・ギャラリーで発表されたアンディ・ウォーホルの「花」シリーズ。コレクターの間で大人気となり1000点近く制作されたと言われるこの作品は、じつは雑誌『モダン・フォトグラフィー』1964年6月号に掲載されたハイビスカスの写真をベースとして制作されている。

 ウォーホルは他者の写真を自らの作品に取り込んだわけだが、案の定、この作品をめぐり、写真を撮影した同誌の編集長パトリシア・コールフィールドから1966年に著作権侵害で訴えられている。

パトリシア・コールフィールドによるハイビスカスの写真 出典=(https://www.warhol.org/lessons/silkscreen-printing/underpainting-and-photographic-silkscreen-printing/)

 裁判は和解で終了したが、ウォーホルが2点の「花」をコールフィールドに渡すこと、複製されるプリントの将来の利益から一定のパーセンテージを支払うことを条件としたと言われている(*1)。つまり、事実上「花」が写真の著作権侵害であることを前提としたウォーホル敗訴の和解であった。

 しかし、「花」裁判から50年以上の時が過ぎた現在、米国の司法判断には変化が見られる。

 写真家のリン・ゴールドスミスが撮影したプリンスの肖像写真を用いたウォーホルの「プリンス」シリーズに関する写真家とアンディ・ウォーホル美術財団との裁判で、2019年7月1日、ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所は、ウォーホル作品はフェア・ユースである、と判断したのだ(*2)。ウォーホル作品は適法となり、裁判所は「花」裁判とは真逆の結論を支持したことになる(*3)。

リン・ゴールドスミスによるプリンスの肖像写真 出典=訴状13頁
アンディ・ウォーホル プリンス 1984 出典=(https://news.artnet.com/art-world/prince-photographer-fires-back-warhol-foundation-copyright-suit-923759)

 既存の素材を意図的に取り込んで自らのアート作品として使用する手法は「アプロプリエーション」と呼ばれている(*4)。 

 アプロプリエーションがとくに注目を集めたのは1980年代であり、マルボロの広告を再撮影(リフォトグラフ)したリチャード・プリンスの「Untitled (cowboy)」シリーズはその代表的な作品である。

マルボロの広告 出典=グッゲンハイム美術館ウェブサイト(https://www.guggenheim.org/arts-curriculum/topic/cowboys)
リチャード・プリンス Untitled (cowboy) 1989 出典=グッゲンハイム美術館ウェブサイト(https://www.guggenheim.org/arts-curriculum/topic/cowboys)

 広告として流通していたイメージでは写真家の名前が出ることはなく、作家性は喪失していると言えるが、プリンスの再撮影によってトリミング、拡大してアート作品として提示されることで、写真が本来有していた広告としてのメッセージ性は排除され、広告となる前の写真本来のイメージがプリンスの作品として回復される。再撮影によってコンテクストの置き換えが行われているのである(*5)。

 このように、アプロプリエーションではより確信犯的に他人のイメージを取り込んだ作品制作が行われるようになった。しかし、当然ながらアート作品に取り込まれる他人のイメージ(取り込まれる写真を撮影した写真家のケースが多い。)に関する権利との緊張関係を抱えることになる。

 アプロプリエーションは議論の余地なく単純に著作権侵害として禁止されるべきだろうか? 

米国の現状

 冒頭で言及したように、米国ではアート作品への他人のイメージ利用を許容する傾向が強まっている。しかし、このような傾向が昔からずっと変わらずにあったわけではない。アーティストが訴訟で戦い、判例が積み上がってきた結果としてアプロプリエーションを正当化する論理が生まれている。

 米国ではジェフ・クーンズ、前述したリチャード・プリンス、アンディ・ウォーホルといった第一線のアーティストが訴えられ、裁判で主張が繰り広げられることになった。以下で紹介する事件はいずれもアートマーケットの中心地であるニューヨーク州を管轄する裁判所で争われている。アーティストによる戦いの歴史をみてみよう。

 

ジェフ・クーンズ《String of Puppies》

 クーンズについてはとくに有名な2件の判決を紹介しておきたい。

 まず、クーンズが制作した彫刻作品《String of Puppies》(1988)に対して、写真家のアート・ロジャースが著作権侵害を主張した事件に関する1992年の判決がある(*6)。 《String of Puppies》は、いまや法曹界でもっとも有名な作品かもしれない。

 ロジャースは、庭のベンチで夫婦が子犬を両腕にかかえる写真《Puppies》(1980)を撮影し、この写真のプリントはコレクターに販売されたり、絵葉書としての使用のためにライセンスされたりしていた。

 この写真を見たクーンズは、まったく同じ構図で写真を忠実にコピーした《String of Puppies》を1988年にニューヨークのソナベンド・ギャラリーで行われた展覧会「バナリティ・ショー」で発表するために4点制作し、そのうち3点を合計36万7000ドルで販売して、残りの1点はアーティスト所蔵とした。

ジェフ・クーンズ String of Puppies 1988 出典=ジェフ・クーンズ・ウェブサイト(http://www.jeffkoons.com/artwork/banality/string-puppies)
アート・ロジャース Puppies 1980 出典=アート・ロジャース・ウェブサイト(http://www.artrogers.com/portraits.html)

 クーンズの主張は、もちろんフェア・ユースだ。米国著作権法では原則として著作権侵害になる行為(複製行為など)でも、次の4つの要素を総合的に考慮してフェア・ユースに当たるかを判断する(*7)。 

(1)使用の目的と性質(使用が商業性を有するか又は非営利的教育目的かを含む)
(2)著作権のある著作物の性質
(3)著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量と実質性
(4)著作権のある著作物の潜在的市場や価値に対する使用の影響

 他者のイメージを取り込んだ作品が許容されるかは、多くのケースでこのフェア・ユースに当たるかが主な争点になる。

 フェア・ユースに当たるかは総合的に4つの要素を考慮するが、第1要素(使用の目的と性質)が主役になる。クーンズは、《String of Puppies》は、社会全体に対する「風刺」又は「パロディ」としての利用である、つまり、主な使用目的は消費財の大量生産やメディアによるイメージが社会の劣化を招くという社会的批判であって、取り込んだ作品自体、そしてそれを生み出した政治的、経済的システムに対する批判的コメントにあると主張した。

 しかし、裁判所の判断は、フェア・ユースには当たらない、つまり、写真家の勝利である。裁判所は、パロディが批評の価値ある形式であり、フェア・ユースの下で認められると述べながらも、パロディは取り込んだ作品自体を対象とする必要があると判示した。そうすると、《String of Puppies》は、物質主義的社会への風刺的な批判ではあっても、《Puppies》自体に対するメッセージでないので、パロディではないというわけだ。

 また、クーンズの複製行為は、商業的利用のために行われたこともフェア・ユースを否定する方向で考慮されている。

 

ジェフ・クーンズ《Niagara》

 次は、2000年に発表されたクーンズのペインティング《Niagara》を巡る2006年の判決である(*8)。

ジェフ・クーンズ Niagara 2000 出典=ジェフ・クーンズ・ウェブサイト(http://www.jeffkoons.com/artwork/easyfun-ethereal/niagara)

 この作品のなかに、『Allure』誌(2000年8月号)に掲載されたファッション・ポートレイト写真家アンドレア・ ブランチの写真《Silk Sandals by Gucci》(2000)が無断使用されていた。どこかというと、180度回転させて背景はカットしているが、《Niagara》の左から2番目のサンダルをはいた脚がブランチの写真から取り入れた部分である。

 ブランチは、2003年にクーンズを著作権侵害で訴えた。

アンドレア・ブランチ Silk Sandals by Gucci 2000 出典=Allure誌2000年8月号128頁

 裁判所は、今度はクーンズによる写真の利用はフェア・ユースに当たると判断した。

 結論が変わった理由はいくつか考えられるが、大きいのはフェア・ユースの第1要素(使用の目的と性質)に関して「変容的利用」(transformative use)という考え方を採用した最高裁判決が1994年に出たことだろう(*9)。

 最高裁によれば、変容的利用かは、「新しい作品が、たんに原作品の目的にとってかわるか否かであり、言葉を換えれば、最初の表現を新しい表現や意味又は主張を伴って変化させることで、さらなる目的や異なる性格を伴い、何か新しいものを付け加えているか否か」により判断される。また、この最高裁判決は、変容的であればある程、商業的利用などのその他の要素の重要性は落ちるとも述べていた。

 まずクーンズは、写真利用の目的は、ブランチの写真をマスメディアによる社会的、美的な影響に対するコメントのための消耗品として使用するためで、ある種のエロティックな雰囲気を与えるというブランチの目的とはまったく異なると主張した。これに対して、裁判所も、まったく異なる創造目的や伝達目的を促進するために著作物が「素材」として利用されるときにはその利用は変容的だと述べた。

 続いて裁判所は、原作品自体に対する批判、コメントをする「パロディ」と、必ずしも原作品を利用する必要がなく、それ自体でも成立するために借用に正当化根拠を要する「風刺」の区別についても述べ、メッセージは個々の写真そのものよりも、《Silk Sandals by Gucci》を典型とするジャンルをターゲットにしているので、《Niagara》は「風刺」として位置付けられるとした。

 しかし、裁判所は風刺であっても、クーンズが写真を借用するにあたり、創造のための合理性が本当にあったかを検討し、写真の利用には正当化根拠があったと認定している。裁判所は認定に際し、次のクーンズの説明を引用し、クーンズが矛盾なくなぜブランチの写真を使用したのかを説明していると認めた。

「『Allure』誌の写真にある足は単調なものに見えるかもしれないが、私は自分自身で撮影する足以上にこれらを私の作品に取り入れる必要があると考えた。写真が至るところに存在することは、メッセージの中心だ。写真はマスコミュニケーションの確立したスタイルとして典型的なものだ。どのような高級雑誌にも、その他のメディアと同様にほぼ同じようなイメージを見つけることができる。私にとっては、『Allure』誌に描かれた足は、世界における事実であって、皆が常日頃体験しているものだ。それらは特定のだれかの足というわけではない。『Allure』誌の写真の断片を私のペインティングに使用することで、『Allure』誌によって促進され、体現されている文化や態度についてコメントをしたのだ。既存のイメージを使用することにより、私はコメントを高めるための真実性を確保している。それは引用と言い換えの違いであって、鑑賞者が私のメッセージを理解することを可能にするのだ​」。

 このように、裁判所は、フェア・ユースに当たるかを判断するための重要な要素として、問題となった作品がベースとした作品とは異なるメッセージ性を持っているかを考慮している。また、アーティスト自身による説明もその判断材料としていた。

リチャード・プリンス「Canal Zone」シリーズ

 さて、いよいよリチャード・プリンスに関する2013年の判決を紹介しよう。

 写真家のパトリック・カリウは、6年間にわたりジャマイカのラスタファリアンという宗教の信仰者とともに住み、ジャマイカで撮影した写真集『Yes Rasta』を2000年に発刊した。プリンスは07年12月から08年2月の間に、合板に『Yes Rasta』から35枚の写真を貼り付けた《Canal Zone》(2007)をカリブ諸島のエデンロックホテルでの展示で発表。08年6月、プリンスは『Yes Rasta』をさらに3冊購入したうえ、「Canal Zone」シリーズで30の新たな作品を制作したが、そのうち29作品は『Yes Rasta』から一部又は全体のイメージを取り入れたものだった。

 08年11月からニューヨークのガゴシアン・ギャラリーで行われた展示でプリンスの「Canal Zone」シリーズ22点が発表され、他のギャラリストからこれを知らされたカリウは、08年12月にプリンス、ガゴシアン・ギャラリーなどを相手にして著作権侵害の裁判を起こした。

ガゴシアン・ギャラリーでの展示風景 出典=ガゴシアン・ギャラリー・ウェブサイト(https://gagosian.com/exhibitions/2008/richard-prince-canal-zone/)
リチャード・プリンス James Brown Disco Ball 2008 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Tales of Brave Ulysses 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Back to the Garden 2008 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
パトリック・カリウ『Yes Rasta』より、P118ページの写真 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
パトリック・カリウ『Yes Rasta』より、P83–84の写真 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix

 2011年にニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所は、写真家に有利な判決を下した(*10)。フェア・ユースの第1要素 (使用の目的と性質)で考慮される変容的利用について、地裁は 「プリンスのペインティングは、写真に対してコメントをする限度においてのみ変容的である」と判示し、また、プリンスによる「作品は原作品の持つ意味について興味はなく、アートを制作したときに伝えようとしたメッセージはない」との証言を指摘している。

 これまでの裁判所の判断からすると、程度に差はあるが問題となった作品がベースとした作品と異なるメッセージ性があるかを重視していたので、このような結論は予想できただろう。

 ところが、2013年の控訴審判決で地裁の判断が覆り衝撃が走った(*11)。控訴審は、プリンスの次の5作品、(1)《Graduation》(2008)、 (2) 《Meditation》(2008)、(3)《Canal Zone 》(2007)、 (4)《Canal Zone》(2008)、(5)《Charlie Company》(2008)以外のすべての作品について、プリンスによる写真の利用はフェア・ユースに当たると判断したのだ。そして、これら5作品に関して、さらに審理をするために地裁に差し戻されることになった。

リチャード・プリンス Graduation 2008 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Meditation 2008 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Canal Zone  2007 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Canal Zone  2008 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix
リチャード・プリンス Charlie Company 出典=Patrick Cariou. v. Richard Prince, 11–1197 Appendix

 裁判所は、法は変容的となるために、原作品や著作者へのコメントという要件をなんら課していないと指摘し、構成、表現、スケール、色彩、メディアが根本的に異なる点で25のプリンスの作品はカリウの写真とは根本的に異なる美を表現していると強調する。

 そのうえで、「重要なことは問題の作品が合理的な観察者にどのように見えるかであって、アーティストが作品の特定の部分や内容について述べることではない。プリンス作品は、カリウの作品や文化へのコメントなしであっても、また、プリンスがそのような意図であっても変容的でありうる。作品に関するプリンスの説明に裁判所の問いを閉じ込めるのではなく、変容的な性質を評価するため、作品がどのように『合理的に認識されるか』を検討する。(…)裁判所の侵害分析の中心は、一次的にプリンスの作品そのものにあり、25の作品は法律問題として変容的であるとみる」と述べて、プリンスの証言は変容的利用と認定するための障害にはならないとした。

 裁判所は、プリンス作品と写真とを並べて見たときに、プリンス作品が、カリウの写真とは異なる性質を有しており、新たな表現、新たな美を付与している、と判示して変容的利用に当たると結論付けた。

 どう感じただろう? この判決の直後には疑問の声が多く上がった。フェア・ユースをあまりに広く認めることになるのではないか? 差し戻された作品とフェア・ユースに当たる作品との違いはどのように判断したのか?(*12)

 この事件は地裁に差し戻された後、2014年に和解で終了したため、結局、差し戻された5作品に関する地裁での判断が示されることはなかった(*13)。

 

アンディ・ウォーホル「プリンス」シリーズ

 そして、このリチャード・プリンス判決は、ウォーホルの「プリンス」シリーズに関する2019年7月の判決で再び確認されることになる。アンディ・ウォーホル美術財団が原告となったウォーホルの「プリンス」シリーズ16作品に関して著作権侵害がないことの確認訴訟である。

アンディ・ウォーホル 「プリンス」シリーズ 1984 出典=訴状9-12頁

 写真家のリン・ゴールドスミスが撮影したプリンスの肖像写真を用いた「プリンス」シリーズがフェア・ユースに当たるかが争点となり、ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所は、リチャード・プリンス判決を引用して、ウォーホル作品がゴールドスミスの写真の変容的利用に当たる、と判断した。

 裁判所は、様々な観点からウォーホル作品がゴールドスミスの写真と異なる表現となっていることを認定している。

 まずゴールドスミスの写真は、プリンスが不安を抱えた傷つきやすい人間であることを表現しているのに対し、ウォーホル作品はこれとは対照的な表現となっている点。

 構成についてもウォーホル作品では胴体はカットされ、顔と少しのネックラインが前面に出ており、骨格構造がはっきりとした写真の表現は「プリンス」シリーズでは緩和されていたり、簡略化されたり、影にされたりしている。また、ウォーホル作品では、写真のような三次元の存在としてではなく、プリンスは平面的な二次元の人物として表現されている。さらに、ウォーホル作品は、派手で不自然なカラーによって白黒の写真と明確なコントラストを成していることも裁判所は指摘する。

 これらの認定をして、裁判所は、ウォーホル作品により加えられた表現が、オリジナルの写真とは異なる美、性質を有しており、「プリンス」シリーズが不安を抱えた傷づきやすい人物であるプリンスを象徴的で偉大な人物に変容させていると合理的に認識することができる、と判示した。

 さらに興味深いのは、裁判所が「プリンス」シリーズはプリンスの写真ではなく、直ちにウォーホル作品として認識される、とも述べている点だ。この点はリチャード・プリンス判決には見られない認定であり、アーティストの著名性にも大きく左右されると思われるため、注目される。

 ウォーホルの「花」裁判から50年以上の時間が過ぎ、米国の司法判断は明らかに変化した。とくに近年、フェア・ユースの第1要素(使用の目的と性質)で、原作品と異なるメッセージ性を中心に検討していた傾向から、原作品と新たな作品との表現上の違いを強調し、メッセージ性の考慮はやや薄める方向にシフトしている。

 しかし、形式的に他人のイメージが作品に取り込まれているかで終わるのではなく、原作品を利用した新たな作品が原作品とは異なる表現、美、メッセージを有しているかなどの中身に踏み込んで検討し、新たな作品を許容することが著作権法の目的を促進するかという実質的判断がされる点に変わりはない。

 結果として米国、とくにニューヨーク州ではアプロプリエーションであっても、フェア・ユースの下で適法になる傾向が強まっているのが現状である。

おわりに

 日本では他人のイメージを取り込んだ作品に関する事件として1980年のパロディ事件最高裁判決が有名である(*14)。

 この事件は、グラフィック・デザイナーであるマッド・アマノが、写真家・白川義員(よしかず)の既存作品を取り込んだ上で作品を制作した行為が、引用として適法になるか、白川氏の同一性保持権を侵害するかが大きな争点となった。

 白川作品は、スキーヤーが雪山の斜面を波状のシュプールを描きつつ滑降している場景が撮影され、写真集で発表された後に保険会社AIUのカレンダーに使用された写真である。

白川義員の写真が使用されたAIUのカレンダー 出典=「パロディ、二重の声【日本の一九七〇年代前後左右】」図録220頁
マッド・アマノの作品 出典=「パロディ、二重の声【日本の一九七〇年代前後左右】」図録219頁

 これに対して、アマノ作品は、白川作品が使われたカレンダーの写真部分左側一部をトリミングし、白黒の写真にして、右上部にブリヂストンタイヤの広告写真から複製したスノータイヤを加えたものであった。

 最高裁は、旧著作権法の引用について「引用して利用する側の著作物と引用されて利用される著作物とを明瞭に区別して認識することができ、前者が主、後者が従の関係」にある必要があると判示したうえで、アマノの写真に取り込み利用されている白川の写真は従たるものとして引用されているとは言えないと結論付けている。

 パロディ事件最高裁判決から約40年が過ぎ、時代は変化している。米国の司法判断は変化した。日本では現代美術におけるアプロプリエーションが正面から争われた裁判例はまだ現れていないが、来たるべきその日に備え、著作権法の解釈を考え直してみる時期なのかもしれない。

 

*1──Martha Buskirk, The Contingent Object of Contemporary Art, The MIT Press, 2003, p.85.
*2──The Andy Warhol Foundation For The Visual Arts, Inc. v. Goldsmith et al, No.1: 17-cv-02532 (S.D.N.Y. 2019).
*3──なお、米国著作権法にフェア・ユースの規定が条文として入ったのは1976年である。もっとも、判例法によって成文化される以前にもフェア・ユースが認められていた。
*4──『美術手帖』2014年9月号77頁は、「既存の要素を戦略的に自作に取り込むこと。」と解説する。滋賀県立近代美術館『コピーの時代−デュシャンからウォーホル、モリムラへ』図録(2004)201頁の解説は、「他者の作品をそのまま複製し、自らの作品とすること。コンテクストを置き換えることによって、新しい作品を作ろうとする企てである。オリジナルの作品の忠実なコピーであっても、年代や製作者を偽りオリジナルであると主張して鑑賞者や収集家を欺くことを目的としない限り、贋作とは区別される。」とする。
*5──Getting Rid of Collage: Richard Prince on the Invention of Rephotography, Conversations: Issue No.1, Luxembourg & Dayan, 2018, p.14-21; Richard Prince, Practicing Without A License, 1977, http://www.richardprince.com/writings/practicing-without-a-license-1977/参照。
*6──Rogers v. Koons, 960 F.2d 301 (2d Cir. 1992).
*7──米国著作権法107条。
*8──Blanch v. Koons, 467 F.3d 244 (2d Cir. 2006).
*9──Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc., 510 U.S. 569, 114 S.Ct. 1164, 127 L.Ed.2d 500 (1994). 
*10── Cariou v. Prince, 784 F. Supp. 2d 337 (S.D.N.Y. 2011).
*11──Cariou v. Prince, 714 F.3d 694 (2d Cir. 2013).
*12──とくに変容的利用とされた《Back to the Garden》と差し戻しの対象となった《Charlie Company》の区別は困難だろう。Amy Adler, Fair Use and the Future of Art, p. 603-604.
*13──Randy Kennedy, Richard Prince Settles Copyright Suit with Patrick Cariou over Photographs, N.Y. TIMES: ARTSBEAT, March 18, 2014, https://artsbeat.blogs.nytimes.com/2014/03/18/richard-prince-settles-copyright-suit-with-patrick-cariou-over-photographs/ 
*14──最判昭和55年3月28日民集34巻3号244頁〔パロディ事件第一次上告審〕。